カテゴリ:治るとはどうゆうことか
森田をものにしたいと思うなら、森田を生活に応用している人を見つけてその人の物まねをしていくのが一番の早道である。
ではどんなところに目をつけてそんな人を見つけたらよいのだろうか。 ・日常茶飯事を丁寧にこなしている人。 ・雑事を丁寧にこなしている人。 ・規則正しく生活をこなしている人。 ・好奇心旺盛でいろんなことに挑戦している人。 ・一人一芸を持っている人。 ・なんでも今一歩踏み込んで行動している人。 ・あるがままの自分、他人、時間、お金、所有物を丁寧に大事に扱っている人。 ・現在の境遇や環境を受け入れて、将来に向かって努力している人。 ・いろんなことに目配りできる人。 ・状況の変化に素早く対応できる人。 その他「純な心」を体得している人、欲望の暴走を抑えることができる人、リズム感のある生活をしている人、自分の欠点、ミス、失敗を隠さない人、他人の理不尽な行為を笑って許せる人。 全部最初から真似なくてもよい。全部を真似ようとすると徹底できない。 一つか、二つに絞ることが肝心である。 自分なりにできやすいところから始めたらよいと思う。 これだけで、神経症を克服して、森田の達人に近づくことができます。 私は一人一芸から真似ていった。 おかげで、楽器の演奏、獅子舞、浪曲奇術、ドジョウ掬い、しば天おどりなどを身につけた。 老人ホームの慰問では30分ぐらいはみんなを楽しませることができるようになった。 自信も生きがいもできた。神経症の悩みよりも、芸事の上達への悩みが多くなった。 とらわれやすいのは昔のままだが、対人的な苦しみはほとんどなくなった。 集談会では、物そのものになりきって日常生活を丁寧にこなしている人。 あるがままの自分、他人、時間、お金、自分の身の回りの物を丁寧に大事に扱っている人がいる。 集談会では具体的な話をよくされる。 ビールをおいしく飲む方法。かぶと煮の作り方。自然との付き合い方。 雑草取りのささやかな楽しみ。などである。 愚直に取り組まれているのがよく分かる人である。 そういう人は、生活の充実ぶりがよく分かる。 後輩たちに計り知れない大きな好影響を与えておられる。 注意点を一つ上げるとすると、森田関連の本をよく読んで学者のような人がいる。 でも夜更かしをして、部屋の整理整頓はできていない。 日常生活もいい加減で気分本位の人もいる。 生活はズボラにしておいて、趣味ばかりに力を入れている人もいる。 自分の意見を他人に押し付けていても意に介しない人もいる。 理論的に立派な人だが、生活と連動していないという人に惑わされてはならない。 そういう人から森田理論を学んで体得することは一害あって一利なしである。 森田理論学習は「理論という車輪」と「行動・実践という車輪」が同じ大きさでないとまっすぐ前には進まないのです。 車輪は小さいときは小さくてもよいのです。ただし同じ大きさでないと困ります。 仮に「行動・実践の車輪」が小さいとすると、その周りを「理論という大きな車輪」がぐるぐるといつまでもまわりつづけます。前進しないで同じところにとどまったままです。 観念的になり、却って自分を苦しめる原因となります。 むしろ森田を知らなければよかったという状態になります。 そんな状態にならないように、くれぐれもご注意ください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.07.18 07:18:38
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