カテゴリ:観念重視から事実重視への転換
ホスピスの病院で2500人の最期をみとった柏木さんはこんな話をされています。
ある方が肝臓がんの末期で入院してきた。47歳の男性だった。 この方の父親は会社の社長で、経済的にも恵まれた家庭に育った人だった。 学校の成績もよく、一流大学の経済学部を卒業し、父親の会社に就職した。 その後結婚し大学生と高校生の息子がいる。 もうすぐ父親の後を継いで社長になる予定であった。 今までの人生は人がうらやむほど順風満帆だったのです。 そんな人が不治の病になってホスピスの病院にやってきた。 この方は、「こんなに若くて、こんな状態で、死んでも死に切れません。二人の子どもはまだ学生ですし、仕事もやり残したことが山のようにあります。」とても動揺していた。 右往左往して、民間療法の「鮫の軟骨」を飲んだり、無理な化学療法を志願して治療をしたが最後に力尽きた。 死を受け入れられないまま亡くなったのです。 これをみて柏木医師はこんなことを言われている。 人生には多くの喪失体験が存在する。 失恋したり、失業したり、最愛の家族と死に別れたり、重篤の病気になったり、交通事故や自然災害に見舞われたりする。 これらの喪失体験は「小さな死」かもしれない。 手に入れたいものが手に入らなかったことも、「小さな死」と言えるだろう。 本来人間は「小さな死」を数多く経験しながら、最後に本当の死を迎えるのではないか。 そうなれば死を受け入れやすくなる。 「小さな死」を経験しないで、初めて迎える喪失体験が本当の死であったらこの人のように、死は決して受け入れることはできなくなる。 小さな喪失体験を数多く経験して、その不快な感情をいかに数多く味わってきたかということはとても意味がある。 人間は3000回の失敗を経験して大人になっていくのだと集談会で聞いたことがあります。 しかし私は失敗やミスをすると、他人から能力のない奴だと馬鹿にされるのが恐ろしくて逃げてばかりいました。 失敗の経験を積んでこなかったので、対人関係は大人になっても幼児の水準のままでした。 大人になって葛藤が多く、とても苦しむことになりました。 失敗やミスの経験を数多く持つ。 不安や恐怖、不快な感情と向き合ってよく味わってみる。 このことの意味する重大さは大人になって初めて分かりました。 (死にざまこそ人生 柏木哲夫 朝日新聞出版参照) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.10.24 06:42:59
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