カテゴリ:観念重視から事実重視への転換
ナルシストという言葉があります。過度な自己愛を持っている人のことです。
あまりよい言葉としては使われていません。自己愛性人格障害という言葉もあります。 でもあえて、我々は少しそういう人のよい面を取り入れたほうがよいと思います。 というのは、私たちは強い「かくあるべし」を持っています。 理想や完璧主義でもって現実の自分や身内を常に厳しい目で監視して、是非善悪の判定をしています。 現実の自分や身内はいつも被告席に座っています。裁かれる立場にいます。 こんなことはありませんか。 自分は容姿が悪いので鏡はなるべく見ないようにしている。 集合写真を撮ると言われると急に憂鬱な気持ちになる。 生活の発見誌の投稿の際、編集部から写真を送ってくれと言われると嫌になる。 たわいもないざっくばらんな雑談の場に加わるのは苦痛である。 人の集まりには出ないようにしている。 奥さんや夫をパーティの場に連れていくということ、思っただけでもしり込みしたくなる。 せいぜい冠婚葬祭ぐらいにとどめている。 不登校や障害を持った子どもを持っていると、子どもの話題は持ち出さないようにしている。 人前に連れていくことははばかられる。 認知症、アルツファイマーの親を抱えていると親の事はいつも隠している。 他の人に会わせることは絶対にしない。 兄弟が薬物依存、アルコール依存、ギャンブル依存症にかかっていると関わりを持とうとしない。 そういう兄弟はいないものと思っている。 これらは自分や身内を受け入れられない人です。というより嫌っているのです。 理想的な自分、身内を頭の中に思い描いていて、その足元にも及ばない現実の自分や身内を認めることができないのです。 「かくあるべし」という物差しで、是非善悪の価値判断しているのです。 それは完全で非のうちどころのない自分、身内でないと世間の人が受け入れてくれないと思っているからです。受け入れられないと孤立してします。孤立すると社会の荒波の中で生きていくことは困難だ。と思っているのです。 現実はその反対なんですね。 他人は、欠点や弱点を隠すことなく公表できる人を受け入れてくれます。 安心感が持てるからです。 そして他人も自分の欠点や弱点を話してくれるようになります。 自分も自分の欠点や弱点を隠したり防御しなくなります。 要らないところに神経を使わなくてもよいので精神的にとても楽になります。 先日ある人たちとカラオケに行きました。ある夫婦がご一緒でした。 その夫婦は美女と野獣という言葉がありますが、どうしてあんな人と結婚されたのだろうかと思えるようなご夫婦なんです。旦那さんはとても太っておられるのです。奥さんは女優にしても通用するような人なのです。 結婚式でも奥さんの来賓の人が「どうしてあんな人と結婚する気になったのか理解に苦しむ」といっていたというのです。 二人でデュエット曲を歌われました。確か二輪草だったと思います。 替歌にしてお互いの名前を呼び合うような歌にされているのです。 名前を呼び合う時はお互いに顔を見合わせてにっこりとほほ笑んでおられるのです。 私はその姿を見て感動しました。 こういう人は基本的に自分や相手の存在そのものを認めて生きておられるのだなと思った次第です。 つまり森田でいう、「かくあるべし」の世界ではなく、事実の世界にしっかりと足をついて生きておられるのだと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.12.23 07:14:27
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