カテゴリ:治るとはどうゆうことか
それでは、簡単に1番目の「欲望と不安のバランス回復療法」から見てゆきましょう。
それでは最初の質問です。 現在のあなたの不安に感じている事、とらわれていることはなんですか。 できるだけ具体的に詳しくお話しください。 次の質問です。 もし症状を克服したとしたら、どんなことをしてみたいですか。 夢とか希望があったら教えてください。 今はそれどころではありませんという方もおられると思います。 そういう方は、子供の頃、大人になったときこんな仕事をしてみたい。 こうゆう家庭を作りたい。こんな生活にあこがれる。こんな人の生き方にあこがれた。 あるいはこんなことに挑戦してみたいということはありませんでしたか。 よく思い出してみてください。 きっと多かれ少なかれあったと思います。是非思い出してみてください。 ここで森田的レクチャ 不安は欲望の裏表だと言います。コインの裏表の関係と同じです。 欲望を本体とすれば、不安はその影です。 欲望が10あるとすると不安も10となります。欲望が5とすると不安は5です。 正比例しています。 薬物療法をはじめとして、他の療法は不安を目の敵にして取り除くことに力を入れています。 森田では欲望と不安は一心同体であるので、取り去ることはできないし、取り去る必要もないという立場です。不安の見方が変わるまで、しっかりと理解しましょう。 次の質問です。 いまあなたの不安、とらわれの苦しみを10とすると、欲望はどれぐらいですか。もし10以下だとするとバランスが崩れていますね。 もしこれがサーカスの綱渡りをしているとすると、すぐに落下してしまいます。 どうして、バランスが崩れてしまったのでしょうか。考えてみましょう。 森田的レクチャ 不安があっては、欲望の達成の障害になってしまう。障害あっては欲望が達成できない。 だからまず、目の上のたんこぶである不安を取り除こうとした。 でも、不安はしつこくてなかなか取り除くことができなかった。 そのうち欲望の達成は蚊帳の外になり、不安を取り除くことばかりに注意が向いてきた。 ミイラ取りがミイラになったようなものです。 このことを森田では、手段の自己目的化が起きていると言います。 そのうち精神交互作用により、もがけばもがくほど蟻地獄に落ち込んでしまいました。 そしてついに神経症として固着してしまいました。 不安は意味もなく存在しているのではありません。不安には大きな役割があります。 不安がないと、欲望が暴走することがあります。 不安は欲望が暴走しないようにブレーキの役割を果たしています。 アクセルばかりで、ブレーキがないと重大な事故を起こしてしまいます。 このこともしっかりと理解してゆきましょう。 欲望と不安はどちらも必要です。でも欲望が暴走すると大きな問題を生じさせます。 反対に不安にばかりとらわれてしまいますと、神経症に陥ってしまいます。 特に私たちは不安を邪魔者扱いしています。これは厳に慎む必要があります。 不安と欲望は常にヤジロベイのように、右に傾けば左に、左に傾けば右へとバランスをとることが必要です。 それでは最後の質問です。 欲望と不安のバランスをとるためにどうすればよいと思われますか。 ご一緒に考えてみましょう。 森田的レクチャ 不安にとらわれる人は欲望と不安のバランス感覚が働いていません。 症状が表面化している時は、不安の解消ばかりに注意が向いています。 その場合、バランスを回復させるためには、不安は放置しておいて、「生の欲望の発揮」に目を向けていくことです。 そのためにすることは何か。 まず、意識付けとして目につくところに「やじろべい」を置いておく。 生活面では、規則正しい生活を回復させる。雑事に取り組む。 軌道に乗り始めたら、3番目の「実践・実行療法」に本格的に取り組む。 神経症の方は不安に大きく振れることが多いという自覚を深めていくことが大切です。 最終的には、臨機応変に欲望と不安のバランスがとれるような能力を獲得することです。 何回も手を替え、品を変えて十分に学習して、対応力を身につけましょう。 不安と欲望のバランスを回復するための学習と実践は、森田理論に詳しい先輩会員からのアドバイスが有効だと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.07.05 09:39:24
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