カテゴリ:治るとはどうゆうことか
神経症が治るということはどういうことですか。
神経症を克服した人はどう変化しているかという視点から5つのパターンを紹介したい。 1、不安と欲望の相互関係をよく理解して実践している。 不安は取り去ることはできない。取り去ろうとしてもいけない。 不安と欲望はコインの裏と表の関係にある。 不安をなくするためには、欲望を無くすればよいが、人間である限りそんなことはできない。 でも、不安を利用して自分の欲望を見つけ出そうとしている人。 次に、不安は大きな役割を果たしていると思っている人。 つまり不安は欲望の暴走を制御していることが分かっている人。 欲望の暴走が起きると人類は破滅に向かいます。 だからもっともっと有意義に不安を活用しようとしている人。 不安と欲望の関係についてよく分かっている人。 例えばサーカスの綱渡りの芸を思い浮かべてください。 長い棒のようなものを持って常にバランスをとりながら、恐る恐る目的地に向かっている。 棒の両端を欲望と不安に置き換えてみましょう。目的地を生の欲望と置き換えてみましょう。 人間が生きるということは、不安と欲望のバランスをとりながら、常に欲望や目的や目標に向かって歩み続ける中にあるということが分かっている人。 2、神経症に陥った人は、客観的で正しい考え方や見方ができなくなっています。 物事をよく見ていない。先入観が強すぎる。思い過ごしが強い。マイナス思考一辺倒である。 否定的である。無茶である。極端である。飛躍しすぎである。自分勝手に決めつけている。 希望的観測が強いなどです。 こういう偏ったものの見方が修正されて、森田でいう両面観でバランスよく物事を見れる状態になっている人は、神経症を克服している人です。 3、神経症に陥った人は、強い「かくあるべし」を持っています。○○しなければいけない。○○してはいけないといったものです。 「かくあるべし」を前面に打ち出して、自分や他人、物事を価値判断してゆくと、「現実、現状、事実」はとても我慢がならなくなります。 無理やり「かくあるべし」に合わせようとすると強い葛藤や苦しみを生みだします。 これが神経症への苦悩の始まりとなります。 神経症の苦しみから逃れるためには、「かくあるべし」的思考をできるだけ小さくして、すぐに「かくある」という事実に立ち戻ることができる能力を獲得した人は、神経症を克服した人です。 4、過去と比較したり、人と比較して現状や事実を出来るだけ正確に把握することはとても重要なことです。 でも私たちがしてもよいのはそこまでです。 こちらがよいとか、悪いとか、正しいとか、間違いだと価値判断をすることはしてはならないことです。 物や他人にはそれぞれ違いがあり、かけがえのない存在価値を持っているのです。 それぞれの持っている存在価値に焦点をあてて、それを活用していこうと思っている人は神経症から立ち直っている人です。 この反対はすべての物や人を自分の思い通りにコントロールしようとする人です。 5、 最後に困難な問題や苦しみをたくさん抱えながらも、「生の欲望を発揮」して日々奮闘努力している人です。 こういう状態が、神経症克服の最終目標となります。 はたから見て、以上のどれかに当てはまる人は神経症を克服した人だと判断することができます。 この5つの視点でよく人を観察してみてください。 治った人と治らない人はすぐに分かります。また、たまには森田の達人という人も発見できるでしょう。 そういう人を見つけるとこちらの方もうれしくなってきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.12.14 06:59:42
コメント(0) | コメントを書く
[治るとはどうゆうことか] カテゴリの最新記事
|
|