カテゴリ:人間関係、不即不離
人間の感情にはいろんなものがある。少し整理してみよう。
まずはネガティブな感情。 不安、心配、恐れ、怯え、イライラ、怒り、罪悪感、嫉妬心、悲しい、憂うつ、不快など。 次にポジティブな感情。 楽しい、嬉しい、愉快、気持ちがよい、欲しい、食べたい、夢や希望、体を動かしたい、創作活動をしたい、人と分かり合いたい。その他いろんな欲望等など。 石原加受子さんの自分中心の生き方というのは、ポジティブな感情が湧き起った時、その気持ちを素直に受け入れて、自分の感情中心に行動することの大切さを言われている。 ところが普通はその気持ちを思考や言葉で押さえつけている。 たとえば有給休暇を取って旅行に行って、温泉に入り美味しいものを食べたいという欲望が起きたとします。 でも会社ではノルマが果たせないで、毎月未達になっている。 ましてや同僚の中に葬儀以外で有給休暇を取る人はいない。 自分の娯楽で休暇申請するのはわがままではないのか。罪悪感を感じて有給休暇の申請を取りやめてしまう。 これは他人の思惑を気にして、他者中心の生き方になっている。 そこでは自分の気持ちや感情を抑圧しているので、何かもやもやとして、心に葛藤が起きてくる。そして苦しくなる。思うようにならずに、投げやりになって、すべてを放りだしてしまったりする。 対人関係で苦しい人は、そのように自分を押さえつけてしまうことに問題があるといわれている。 これは森田理論でいうと、自分を「かくあるべし」で縛り上げていることだと思う。 「かくあるべし」というのは、今まで受けてきた教育、規範、観念、常識、ルール等という物差しで現実、現状、事実を否定していく。 事実を観念の世界に引き上げようと、悪あがきを仕掛けているのである。 でもなかなか、現実を理想の状態に引き上げられない。 そのジレンマに四苦八苦して、精神的にも肉体的にも苦しんでいるのである。 石原さんの自分中心の生き方と森田理論の「事実本位・物事本位」の考え方は同じことだと思う。 森田理論には、それ以外に不安、恐怖、不快感、違和感に対しての取り扱い方法を説明している。石原さんの自分中心の生き方には、そういう説明に重点は置かれていない。 自分の気持ちや欲望に対して、素直な生き方に絞って説明されているように感じる。 つまり他人中心の生き方を止めて、自分中心に生きていくことを提唱されているのである。 しかしながら、神経症に陥っている人は、不安、恐怖、不快感、違和感と常に格闘している。 それらを取り除こうと自分のエネルギーの大半をそこに集中さている。 その時自分の気持ちや欲望は蚊帳の外に放置されている。 だから森田理論では、自分中心の生き方を目指していく前になすべきことが他にある。 不安、恐怖、不快感、違和感に対しての考え方や行動には問題がないのかどうか。 さらに不安の特徴や役割。精神交互作用と症状の固定の関係。 欲望と不安の関係。生の欲望と不安のバランスのとれた生活とは何か。 それらをまず森田理論学習で深めていく。 それらがよくわかった時点で、石原さんの言われる、自分中心の生き方への学習へと駒を進めるのが順序ではないのかと考える。 つまり森田理論学習でいうと、思想の矛盾(理想と現実の解離による精神的な葛藤)の打破に取り組んでいくのである。 そうでないと精神交互作用は解消できないのではないかと考える。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.10.14 06:52:05
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