カテゴリ:観念重視から事実重視への転換
先日の集談会で、排尿困難の話が出た。
男子トイレに行ったとき、自分1人の時は問題はないが、横に他人がいるときは、用を足すことができなくなる。 そこでプロ野球を観戦時は、自分のひいきのチームがチャンスを迎えた時に用を足しに行く。 その時は大勢の人が試合に夢中になっているので、トイレに行く人がいない。 安心して心置きなく用が足せるのだ。 反対に、攻守の切り替わりの時は、みんなが一斉にトイレに駆け込むのでトイレには行かない。 たちまち排尿困難になるのが分かっているからだ。 また後ろに何人もの人が並んでいて、早く済ませるように急かされているようでとても不安になる。 その方は以前、ある偉い先生にそういう時は逃げてはいけないと言われたそうだ。 逃げてばかりだと、いつまでたっても排尿困難は治すことはできない。 排尿困難の時は、用が足せるまで便器から離れてはいけないと言われたのだ。 そのようにしてみたが、一向に排尿困難は改善することができなかった。 集談会で相談したところ、反対にそういう時は逃げてもいいと言われたそうだ。 そして、こうも言われた。 用を足すということが目的であるので、人がいないときを見計らってトイレに行くのも1つの方法である。水を流しながら、用を足すほうがやりやすいのなら、その手を使ってもよい。 また、大のほうの便器で用を足しても良い。大きなビルであれば、違う階に行って用を足してもよい。 手段はどうであれ、用を足すという目的が果たせばよいのではないか、と言われた。 その人は排尿困難について生活の発見誌に投稿した。 すると、何人もの排尿困難の問題を抱えている人たちから手紙が来たという。 その人たちとの意見交換では、用を足すことが目的であるので、それが達成できれば問題はない。 排尿困難になったとき、逃げてはいけないということにとらわれて、 じっと耐えているほうが問題だという結論に達した。 次に、その方から排尿困難を引き起こす心理状況について話があった。 その方は排尿困難だけではなく、食事恐怖症、吃音恐怖症もあった。 食事恐怖症というのは、人前で食事が出来なくなるという症状である。 吃音恐怖はどもりである。矯正院に通ってもなかなか改善しない。 これらは同じからくりによって引き起こされるそうだ。 これらは、人が自分のことをどう見ているのかということが気になり、何とか気にしないようにしようとやりくりをしているうちに症状として固着してくる。 そういう人は負けず嫌いである。人から気の小さいダメな人間に見られる事を極端に恐れる。 正々堂々として、立派な人間としてみられなければならないという「かくあるべし」が強いといわれる。 そのことにとらわれるあまり、増悪して症状に発展していくのだ。 その人は排尿困難、食事恐怖症、吃音恐怖症は、現在すべて克服されている。 どうやって克服されたのか。興味がある。それは森田理論を学習したからだといわれる。 その中で、「事実唯真」の考え方がとても役に立ったと言われる。 特に事実をよく観察するということだ。 例えば食事恐怖症は、たまには他人から「どうして食べないのか」と指摘されることはあったという。 ところが、そんな事は稀であり、周りの人は自分のことはほとんど見ていない。 というよりも無関心であるということに気が付いたそうだ。 自分の食事のことで頭がいっぱいで、人を観察するゆとりはないのである。 それなのに自分は、周囲にいる人みんなが自分に注目して動向を見守っているはずだと思っていたのだ。 自分は1人相撲を取っていたのだと気がついた。何回も観察するうちにそれは確信に変わった。 すると、気持ちが楽になって落ち着いてきた。次第に宴会の席から参加できるようになった。 宴会の席では飲み物があるので、とっかかりとしては良かったと言われていた。 吃音恐怖症の人も、目的の言葉がでないのにいつまでも何とかして発音しようとしている。 でも、考えてみるとカラオケを歌っているときに、どもっている人はいない。 あれはリズムに乗っているからだと言われる。 またどもる時は、その言葉の前に別の言葉を付け加えて話すように心がけると、吃音恐怖症が改善できることがある。 要するにこれらの症状に対しては正面切って治そうと思わずに、用が足せればそれで結構だという心構えで取り組んでいくことが必要だと言われていた。 こういう話を聞くと今日も集談会に参加してよかったとしみじみと思える。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.05.31 20:21:22
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