カテゴリ:森田理論の基本的な考え方
高良武久先生のお話です。
人間は正直であるべきだ。これは大切なことですね。 しかし、いつも正直であるべきだ、ということを鵜呑みにして、それを実践したら、変なことになりますよね。 なるほど、正直でなければ、人間はいちいちを疑わなくちゃならない、用心ばかりしていては、取引も何もできないですね。人間関係が破壊されますよ。 しかし、正直であるということにとらわれて、自分の心に思うこと、そのとおりいうのが正直だというようなことで、人に会ってですね、 「あんた、顔色が良くないですね、ガンでも出来ているんじゃないですか」とか言うようなことを言うのは、これは変ですね。 「もう、長いことないんじゃないかね」なんて言ったら、困るんだな、そういう事は。 特に医者がそんなこと言ってね、 「あなたはせいぜい、あと1ヶ月ですね」とかなんとか言って、あるがままを正直に言わなくちゃならんと思ったら、それは大変なことになるわけだね。 「夕べあなたにいただいたダンゴはまずくてね。ようやく我慢して食べましたよ」なんて言ったら、それは事実であるから、言うのが正直だと、そういう事を言ったら、相手をただそこなうだけですね 。反社会的だね。そういう事は。 たとえまずくてもですね、 「結構なものをいただきました。ありがとうございました」と言うのが礼儀だねえ。 よく、世の中には、そういう外界の事情に応じないで、一本調子にやるのが、正直な態度だと心得ている人があるんだな。そうゆうのは、まあ世間知らずとか、人を無視するような態度になりますね。 (生活の発見誌 1997年1月号より引用) これは森田理論の中の、精神拮抗作用について説明されていると思う。 高良先生が言われている自分の正直な気持ちは、自然現象でありどんなことを思ってもいいのだと思う。 自分の気に食わない人を殺したいほど憎んでもいい。また、どんなに卑猥で下品なこと思ってもいい。 これらは自分の意志の力ではコントロールできない。 台風や地震などの自然災害と同じことであり、好むと好まざるとにかかわらず、受け入れていくしかない。 しかし、その自分の正直な気持ちをそのまま言動として外に吐き出すことは問題である。 もともと人間にはある感じやある感じ欲望が起これば、同時にこれに相当して、必ずこれと反対の心が起こって、我々の行動を生活に適応させるようになっている。 森田先生曰く、 「精神の拮抗作用が欠乏するときには、子供や白痴のように欲望が起これば、抑制の心のない衝動行動となり、またこれが麻痺弛緩するときには、酔っ払いや精神病者におけるような軽率、無謀の言動となり、またこの抑制の心が強くなると、抑うつ症のように話すことすることも全くその自由を失うのである。 また緊張型分裂病のようにてん、あるいは錯乱興奮して、あるいは混迷になるなどの事は、これを筋肉の間代性または強直性のケイレンに比較することができる。あるいは神経質の種々の苦悩や精神活動の自由を失う事は、欲望と抑制との間における拮抗作用の増進することから起こるものである」 (神経質の本態と療法 白揚社より引用) 自分の正直な気持ちと、それを言動として吐き出した場合、相手がどのような気持ちになるかという2つのことが心の中で自然に湧き上がってくるのが大人としての人間である。 自分の正直な気持ちばかりが前面に出て、相手の立場に立って考えることができないという事はバランスが崩れているということだ。それはいわばロボットと同じである。 人間に備わった精神拮抗作用という素晴らしい仕組みを活かして、時と場合に応じて、自分の正直な気持ちを打ち出してみたり、相手の気持ちを押し図かり、バランスをとりながら臨機応変に生活していけば間違いがない。バランス・調和の考え方を考慮しない森田理論学習はありえないと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.05.25 18:20:49
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