カテゴリ:森田理論の基本的な考え方
京セラの創業者の稲盛和夫氏は、理念に反することをしてはいけないと言われている。
理念と言うものは、 「私はこういう経営をしていきたい」 「会社経営は、こうあるべきだ」と、考え、行動するもとになるものです。 それを守って実践してこそ理念なわけです。経営者の人生観といってもいいでしょう。 それを競争が激しいからといって、 「守っていては、やっていけない」と理念を曲げたとしたら、それはもはや理念ではありません。 理念を曲げるぐらいなら、従業員ごと会社が潰れなければいけませんね。 会社が理念を曲げてまで生き延びても意味がないんです。 理念という基準がありながら、それほど切羽詰まっていないときに、 「少しこっちにずれてもいいだろう」とやってしまう。そこに自分では悪いことをしている意識はないのだと思います。 だから、 「少し理念から逸脱するけれども、このくらいなら許されるだろう」とやるわけです。 そんなことが日常的になると、基準がどんどんずれていきます。 いちど理念をずらすと、今度はそれが基準になって、また少しぐらいならずれてもいいだろうとなる。 そうして、どんどん最初の理念から離れていくのですが、本人は理念を守っていると思っているのですね。(ど真剣に生きる 稲盛和夫 NHK出版より引用) この話を聞いて私の感想を書いてみます。 アルコール依存症、薬物依存症、ギャンブル依存症、ネットゲーム依存症の人たちは、依存症から抜け出すために、 「もう二度と手を出しません」という固い決意の下で新たな生活を始めます。 最初のうちは手が出そうになってもなんとか我慢して耐えています。 ところが、その固い決意がふと緩む時があるんですね。 仕事などで思い通りにいかない状況や人間関係で問題を抱えた時です。 気晴らしで少しならいいだろうと思ってやり始めると、少しだけでは済まなくなるのです。 簡単にまた元の木阿弥になってしまうと言われています。考えてみれば恐ろしいことです。 それは脳の中の快楽神経にそのときの快感が強く刻み込まれているのです。 ですから、依存症で苦しんだ人は、立ち直ろうと思えば、以後一切の誘惑を撥ね退けって、決して手を出さないということが大切なのです。固い信念を持って近づかないことが決め手となります。 自分1人の力で耐えられなければ、他人の力を借りてでも手を出さないという固い決意が必要なのです。 さて稲盛さんの言われていることを、森田実践に当てはめてみるとどういうことでしょうか。 森田先生のところに入院していた人たちは、退院する頃には、自分の症状のことよりは、自分の周囲のことや他人のことに色々とよく気がつくようになります。注意や意識が内向きから外向きに変わっているのです。次第に神経質性格のプラス面が現れてくるようになります。 気づきや発見が多くなり、それに基づいて積極的、建設的、創造的な行動が多くなってきます。 別人のような人間に生まれ変わるのです。そして周囲の人々を驚かすことになるのです。 それを発展させていくと、森田的な生活が定着してくるようになります。 森田先生が言われているように、感じを高める、無所住心、なりきる、物の性を尽くす、自然に服従する、生の欲望の発揮などにまい進できるようになります。 ところが、これは少し気を抜くとすぐに森田的な実践から離れていくことになります。 例えば、森田的な生活をしていると日常茶飯事を大切にし、規則正しい生活をするようになります。 少し気を抜くと、毎日の生活が不規則になり、日常茶飯事も丁寧に取り組まなくなります。 そういう生活習慣が身についてくると、なかなか元に戻すのは難しくなります。 森田理論の理念は頭では分かっていても、実際には行動実践が伴わないということになります。 せっかく森田理論で人生の方向性を見出したにもかかわらず、 「少しぐらいなら反森田的なことをしても構わないだろう」と安易な方向に向かい出すと、何のために森田理論を学習したのだろうということになってしまいます。森田先生はそれを食い止めるために、退院した人に1か月に1回ぐらい集まってもらい、形外会という会合を主催されて原点に戻るための話をされていました。 稲盛さんの言われるように、いったん森田理論で生きていく方向性を見出したのならば、それを愚直に実践していくという固い決意が大切なのではないでしょうか。 理論と行動のバランスがとれていない人は、人生が空回りしてきて、葛藤や苦しみを克服するどころか、反対に深める方向に向かっていくことが想像されます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.06.10 06:30:04
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