カテゴリ:治るとはどうゆうことか
森田先生は「人生観が変わったから病気が治った」と言われている。
逆に言えば、神経症は「人生観を変わっていかないと治らない」ということでもある。 今日はこのことの意味を考えてみたい。 その前に、現在神経症の治療はどうなっているのか。 主流は薬物療法である。不安が強い人やうつ病の人に対しては効果がある。 精神療法と並行して補助的に薬物療法を利用すればよい場合がある。 しかし、今の精神医療の現場では薬物療法に大いに偏っている。薬漬けになるのは論外だ。 薬は不安などを軽減させることはできるが完治させることができない。 薬は対症療法であり、神経症の元になっている人間や人生に対する考え方の誤りを正してくれるものではない。 つまり、薬に頼っていてもすぐに再発しやすい状況を招く。さらに生きづらさは解消されることがなく一生涯継続する。 薬物は足を折ったときに使う松葉杖のような役割を持っているだけだ。 次に神経症のための精神療法は、現在30種類以上があると言われている。 その中でも今現在1番取り組まれているのは、認知行動療法である。それは保険適用になっているからだ。 認知の誤りの修正と暴露療法により、最終的に不安をなくするというやり方である。 森田療法と大きく違うところは、不安や恐怖に対する考え方である。 修正認知行動療法では最近では森田療法の考え方を取り入れて変化している。 ただ、アバウトに言えば、認知行動療法は、不安や恐怖は取り除くべきものであるという考え方に立っている。 森田療法では、不安や恐怖はなくすることはできない。 欲望があるから、それに付随して、不安や恐怖が発生するのだ。 不安や恐怖をなくすることにエネルギーを使っていると、神経症かどんどん増悪してくる。 不安や恐怖を排除してはならない。不安や恐怖には大きな役割がある。 不安や恐怖に学んで、問題点や課題を明確にすることが必要である。 さらに、不安や恐怖は自分の欲望について教えてくれている。不安や恐怖を見つめることによって自分の欲望を明確にし、その達成のためにエネルギーを燃やし続けることが大切であると教えている。 以上の視点に立って、森田理論を学習することによって、どのように人生観が変わっていくのか、思いつくまままとめてみたい。 まず第一に、神経質性格は決してマイナス面ばかりの性格ではないということだ。 神経質性格は意思薄弱性気質、発揚性気質などの人たちとは全く異なる性格の持ち主である。 神経質性格の人は、自分の性格をつまらない性格だと認識する傾向が強いが、それはあまりにも偏った一面的な見方である。プラス面とマイナス面を同じ数だけ上げてよく比較検討してみることが必要だ。そして自分に持ち合わせてない面は人に譲り、自分の元々持っている。プラス面をいかんなく発揮させる生き方がとても大切だ。 神経症に陥っている人は、バランスが崩れている人である。 本来は不安と欲望のバランスをとりながら、慎重に生きていくことが重要だ。 不安や恐怖ばかりエネルギーを使っていると神経症になる。反対に欲望の追求ばかりにエネルギーを使っていると、人間関係が悪化し、自分自身も生きている意義が失われてくる。味気ない人生で一生を終わることになる。 私はいつもサーカスの綱渡りの曲芸をイメージしている。このバランスの取り方を人生の中で実践できる人は、森田の達人だと認識している。 私たち神経質者は物事を見る時に、先入観や決めつけ、論理的な飛躍、マイナス思考やネガティブ思考、自己否定や他人否定に陥りやすい。客観的で妥当性のある考え方が出来なくなっているのだ。 その1番の原因は事実、現実、現状、実態を軽視しているからだ。 いくら自分にとって気に食わない状態が目の前に現れたとしても、事実をよく見つめて正確に把握することが必要である。森田で言うところの「事実唯真」の態度である。 事実を大切にして、事実に服従していくという生活態度の養成がとても大切である。 事実唯真の反対の態度は、 「かくあるべし」を自分や他人に押し付けることである。 そのことが、いかに苦悩を発生させ、葛藤でのたうちまわているのか自覚を深めて、「かくあるべし」を少なくしていく生き方を身につけていく必要がある。 最終的に森田の目指している方向はただ1点、 「生の欲望の発揮」にある。 不安を生かして欲望が暴走しないように注意しながら、できうる限りの「生の欲望の発揮」に向かって努力精進することが人生の醍醐味であると考える。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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