カテゴリ:人間関係、不即不離
嫌な性格の人とどういう風につきあっていったらいいのか。森田先生は次のように言われている。
人と交際するときに、性格が違がおうがなんであろうが、自分の感じのままに、好きは好き、憎いは憎いで、そのままに交際していけばよい。 嫌いだからといって、必ずしも「私はあなたが憎いから、お断りしておきます」とか、いちいち挨拶をする必要もない。当たらず触らず、会釈笑いでもしていればよい。 この会釈笑いというものは、我々の人に対する社交的な自然な反応であって、自分の心に不快があっても、人と応対すれば、これを隠そうとして、かえっって著明に現れることがあるという事は、誰でも自覚することであろう。その自然なままでよいのである。 それで、憎いままに、じっと自分の心を持ちこたえていることを、私は「自然の感じたままに服従する」と称します。 しかし同時に相手は、同窓生であるから、挨拶くらいはしておいたほうがよかろうと考えて、お世辞の1つも言うのを、私は「境遇に従順」と称するのであります。たったそれだけでよろしい。 この際に、自分は「人を憎んではならない」 「人は愛であれ」 「敵を愛せよ」とか、いろいろな教訓を引き合いに出して、われと我が心をため直そうと反抗するのを、私は「自然の感情に服従しない」と称する。 これと同時に、自分は、あの憎たらしいのが、不愉快だから、彼に会うところへは行かないとか、話しかけられても、対応もしないとか言えば、それはわがままであり、 「境遇に従順でない」と称するのである。 (森田全集第5巻 568から570ページより引用) 人間は誰でも好きな人と嫌いな人がいる。普通の人は嫌いな人に対して、 「虫の好かない奴だな」と思いながらも、なんとか最低限の付き合いをしている。挨拶をする。必要最低限度の付き合いをする。 神経質な人は嫌いな人に対して、どうしてそんなことをしなければいけないのかと思っている。 嫌いな人に愛想を振りまくのは、自分の気持ちに嘘をついていることだ。嘘をつくのは苦しい。 だから挨拶もしない。仕事で必要なこと伝えなければならないことがあっても、同僚に頼んで伝えてもらう。あるいはメールで済ませる。つまり嫌いな人とは全く付き合いを持ちたくないのである。 このやり方は本人は問題ないと思っているが、思い上がりも甚だしい態度ではあるまいか。 そのくせに、心の中では、自分を理解してくれる人を強く求めているのである。 さらに自分のすべてを受け入れて、自分のわがままを許してくれる人を探しているのである。 犬猿の仲のような、そんな姿は第三者から見るとどんなふうに見えるのだろう。 誰の目から見ても、その人とその人が嫌っている相手の人との人間関係がぎくしゃくしているのがすぐにわかる。大人なのだから、相方が歩み寄って妥協して付き合えばいいのにと思っている。 喧々諤々の態度を私たちにこれ見よがしに見せつけるのはやめてもらいたい。 周りの人たちを巻き込んで、みんなが必要以上に気を使っているのが分からないのだろうか。 当事者本人を呼んで話を聞いてみると、最初は自分のことを無視されたとか、からかわれたとかちょっとしたすれ違いが原因となっている。そんな態度とる相手に対して怒りを感じたのである。 森田理論で言うと、それは自然現象である。その怒りは行き着くところまで味わいつくせばよいのである。ボタンの賭け違いが起きたのか。 それは、不快な感情を味わい尽くす前に、すぐに相手の理不尽極まる態度に対して対抗しようと思ったのである。この相手なら、我慢しなくても、自分の力で相手に勝つことができるかもしれない。いや、絶対に勝てる。 不快な感情を相手に倍返しすることによって、自分の怒りの感情を鎮めることができると考えたのだ。 それが1番正しい怒りの感情の処理方法だと思っていたのだ。 では、実際に楽になったのか。または思惑通りに進んだのか。そうではありませんね。 最初に考えていたこととは大きく食い違ってきました。 寝ても覚めても相手のやることなすことが気に食わない。 今や悩みの大半は、相手との人間関係のことである。 これではいけないと思いながらも、それ以外の事は考えらる状態ではない。 憂鬱だ。つらい。誰でもいいから何とかしてくれ。 上司に自分の想いを聞いてもらうと少しだけは楽になるが、すぐにまた元に戻る。 今や解決方法としては、相手が会社を辞めるか、自分が会社を辞めるか、 2つに1つしかないような気がする。会社を辞めるのは簡単だが、その後の生活が心配だ。生きていくのが嫌になってしまった。 そのうち家族との関係もちょっとしたことで言い争うようになった。 こんな結果を招いたのは、最初に感情の取り扱い方を誤っていたためであると思う。 相手どんなに理不尽な態度をとられて怒り心頭なっても、対症療法で、その感情を相手に吐き出すことは短絡的であった。 森田理論では、どんなに腹が立っても、まずその感情を味わうということが大切なのである。 ちょっとだけ味わうという事では不十分だ。骨の髄まで味わい尽くすことが重要なのだ。 相手にその不満を倍返ししてやろうと思ってもよい。極端な話相手を殺してやろうなどと考えてもよい。 よく考えると、すぐに軽率な行動をとる人は、怒りの感情を味わうということが不十分な人である。 軽率な行動をとることからは将来何も生まれてこない。人間関係は悪化するばかりである。 それに対して感情をとことんまで味わいつくす人は、そのときは注射針を打たれた時のようなチクリとした痛みは感じるが、すぐに流れ去って、後々まで悪影響を及ぼすことはないのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.07.24 06:30:05
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