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森田理論学習のすすめ

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2017.07.27
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森田先生は、 「面弱しは、気が強い」と言われている。
この言葉の意味するところはどういうことだろうか。
森田先生曰く。神経質の対人恐怖で、優勝欲のために、恥ずかしがってはならぬと、負け惜しみの頑張りのため、ますます劣等感を増長して「面弱し」になってしまうものである。

具体的な例では、イソップ物語にキツネと葡萄の話がある。
狐が葡萄の木を見つけて、葡萄を採って食べようとした。ところが、いくら飛び上がって取ろうとしても、葡萄を取ることができない。普通動物の場合は、精一杯努力してどうにもならなければ諦めてしまう。つまり、自然に服従する。
ところが、人間の場合はその事実をねじ曲げようとする。イソップ物語に出てくる狐は、あの葡萄は酸っぱ過ぎて食べられるような代物ではないのかもしれない。きっとそうに違いないと思おうとした。
自分が食べてみて、この葡萄は酸っぱい。食べることができない。それだったらよい。
この狐は確かめもしないで、無理やり作り上げた事実を自分に押しつけて納得させようとしたのである。
このようなことをしていると、能力や実力がない自分を卑下するようになる。
自分自身が信頼できなくなる。自己を否定することはとても辛い。
また、自己否定する人は他人を否定する人でもあり人間関係は悪化するばかりだ。

自分の欠点や弱み、ミスや失敗を取り繕って、他人の目に触れさせないようにしようとする努力は、自分の思いとは反対の結果をもたらすことが多い。
隠そうとすればするほど、普段は他人が見逃してくれるようなことでも、ちょっとしたきっかけで他人の注意がそこに向くようになる。それでも隠したり取り繕っててしまうと、周囲の人はそれをことさら取り上げて噂話として面白おかしく囃し立てるということになる。ふんだりけったりというのはこのことだ。そうなると、雑談の場に加わることが恐怖となる。
また、他人と話をすることが恐ろしくなり、傍目から見ていると、人間関係を拒絶しているように見えてくる。

自分の本心としては、人に受け入れてもらい、楽しい交流を望んでいるにもかかわらず、結果としては孤立して生きていく方が精神的に楽だと思うようになるのだ。
それでも人に認めてもらいたい、評価してもらいたいという気持ちが強い人は、みんながしり込みするような大きな夢や目標に向かって努力し、成功の栄冠をつかもうとする。
しかし、なかなか人が容易に達成できないような目標に到達することは難しい。
仮に目標に到達できたとしても、他人から「どうしてそのエネルギーを仕事に向けてくれないのだ」などと言われて、自分の功績や成果を正当に評価してくれない。
そうなればますます周囲の人との人間関係の溝が拡がってくる。

「面弱し」というのは、事実を否定して 「かくあるべし」を強く持って、雲の上の方から地上を見て、あれがダメだ、これがダメだと愚痴をこぼしている人のことを言うのかもしれない。
どんなに理不尽、不愉快であっても、事実をそのままに認めて受け入れて生活するという態度が大切である。
そうでない人は、周囲の状況に合わせるということがなく、闇雲に自分の主義主張を周囲の人に押し付けるのである。
周囲の人から見ると、 「あの人は気が強い」「堅苦しい」「息が詰まりそうだ」と受け取られる。
そして、本来の人間関係である、何でも気兼ねなく話したり、ことさら隠し立てをしないで交流するということが難しくなるのだ。

これと同じようなことで、森田先生は 「慇懃な人は強情な人である」とも言われている。
私が忙しいのも、見境なしに、廊下に座って、無理やりに丁寧に、お辞儀をするような人は、何かにつけて、人と調和・妥協のできない人である。
その人は、単に自分の礼儀さえ全うすれば、人の迷惑はどうでもよいという自然主義の結果であるから、受けた相談で、自分に少しでも都合の悪い事には、決して妥協はなく、自分を犠牲にするということは、毛頭ない。すなわち強情であるのである。

特に目上の人に対して、状況や場所を無視して、自分の思いのままに勝手な振る舞いをする人は、その人に迷惑をかける人である。 「かくあるべし」が強いために、それをどこまでもやり通そうとするために、周囲との調和が図れなくなるのである。自他ともに不幸の種をふりまいていることになる。

「かくあるべし」は今までに受けてきた教育によって、多かれ少なかれすべての人が持っている。
森田理論では、人間は誰でも「かくあるべし」を持っている。それをすべてなくすることはできない。
しかし、 「かくあるべし」を少なくして、少しづつ事実本位・物事本位の生活態度に変えていくことができる。
そうすれば葛藤や苦悩は少なくなり、少なくとも神経症の蟻地獄に陥ってしまうことはないと考える。
むしろ生きていく意義を見出して、人生は楽しいと思えるようになると思われる。
(森田全集第5巻 280ページより引用)





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Last updated  2017.07.27 06:30:07
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