カテゴリ:観念重視から事実重視への転換
神経症が治るということは、自分の悩みから脱するだけではなく、同じ悩みに悩む人に共感でき、その人たちが悩みから脱するために「手を差し伸べられる」ようになることである。
森田先生も、神経症は治った後は、神経症で苦しんでいる人たちのために、 「犠牲心を発揮しなければならない」と言われている。 集談会では適切に運営するために様々な役割分担がある。 自分でできる範囲内の役割を引き受け、みんなのために役に立つ行動をとる事は神経症の克服に役立つ。 また、集談会に出席して神経症で苦しんでいる人たちの話をよく聞いてあげることもとても大切なことである。さらに自分の神経症の症状や神経症を克服した体験を話してあげることも大切なことである。 相手の話に共感し、受容してあげることも大切である。 また自分のつかんだ森田理論や森田理論学習の環境について話してあげることも大切である。 これらはすべて、人の役に立つ行動である。 こういう活動を続けていると、自分にばかり向けられていた意識や注意が少しずつ外向きに変化してくる。 小さなことにとらわれやすいという性格は変わらないが、いつまでもひとつのことにとらわれるということが少なくなっていく。 人の役に立つ行動を継続することによって、新しい感情が生まれ、自分の症状だけに関わっていくことがなくなる。 症状が気になりながらも、目の前の仕事や日常茶飯事に目が向くようになり、当たり前の生活ができるようになる。 これは別の言葉で言えば、神経症が治ったという状態である。 精神交互作用が断ち切られて、生の欲望の発揮に目覚めた状態である。 神経症が治るという事は、まず精神交互作用を断ち切り、生の欲望の発揮に邁進する状態に持っていくことが肝心である。 しかし、現実問題として、日常生活がきちんとできるようになり、仕事でも顕著な実績をあげられるようになっても、心の中は依然として重いし苦しい。 これは森田理論に取り組み、苦しみを抱えながらも、目の前の仕事や日常茶飯事に取り組むことができるようになった人の多くが経験していることである。 特に対人恐怖症を含む強迫神経症の人の場合は、身にしみて感じていることである。 私もその1人であった。 その原因は、 「思想の矛盾」の打破が手付かずの状態であるということである。 このことを忘れてはならないと思う。 「思想の矛盾」とは、自分の理想だと頭で考えている事と現実が乖離している状態のことを言う。 そしていつも観念的な理想や完全な状態にこだわり、現実を批判的な目で見ていると、心の中の葛藤はいつまでも続くようになる。これが神経症の発症の大きな原因となっている。 不安にとりつかれて神経症に陥る場合よりもより深刻である。 どんよりと重い雨雲が垂れ込めた地上で生活しているようなものであり、重苦しい状態はずっと続く。 これでは生きていくこと自体が楽しめない。 精神交互作用を断ち切り、自分の生活がある程度軌道に乗った人は、次には「思想の矛盾」の打破に向かって取り組む必要がある。 これは「かくあるべし」を少なくして、事実本位、物事本位の生活態度を身につけていくことである。 「かくあるべし」の比重を下げて、現実、現状、事実の比重を上げていくことである。 そうすることで、頭の中で考えている事と現実や事実のバランスがとれて、最終的には事実本位に統合されてくる。すると、自己否定や自己嫌悪がなくなり、自己受容ができるようになる。 自己受容できるようになると、無駄な葛藤や苦しみがなくなるので、とても楽になる。 濃い霧の中をビクビクしながら車を運転していた状態が、霧が晴れて、目の前の視界が広がってきた状態になる。あとは人生を思い切り楽しみ、目標に向かって疾走していけばよいのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.10.24 06:30:06
コメント(0) | コメントを書く
[観念重視から事実重視への転換] カテゴリの最新記事
|
|