先日テレビで石牟礼道子さんの番組を見た。
石牟礼さんは、水俣市に住んでいた。そこで水俣病の人たちと出会った。
水俣では、かってチッソという会社が有機水銀を不知火海に垂れ流し、深刻な身体障害である水俣病を引き起こした。
石牟礼さんは、水俣病をきっかけとして、人間の豊かさとは何か、人間いかに生きるべきかを問い続けた人であったのだ。
その内容は、「苦海浄土 わが水俣病」など数冊の本にまとめられている。
もし、石牟礼さんの活動がなければ、水俣病は国とチッソを相手どった損害賠償請求に終始していただろうといわれている。人間が生きるということを、水俣病を通して考えられた優れた作家であると思う。
また石牟礼さんは、水俣病で苦しんでいる人達に大きな影響を与えたといわれている。
たとえば被害者に緒方正人さんという方がいて、 「チッソは私であった」という本を書いておられる。
その中で自分はチッソの被害者であるけれども、この水俣の海を漁師として荒らしまくった加害者でもあるのだ。有機水銀を流した人たちと同じ側に立っているんだと考えるようになった。
緒方さんは、 「命の尊さと、命の連なる世界に一緒に生きていこうという呼びかけが、水俣病事件の核心ではないかと思っている」と言われています。水俣病で苦しむようになって、人間がこの地球上で生きるという問題をより深く考えるきっかけになったといわれているのだ。
その後、訴訟運動から離れ、水俣病認定申請を自ら取り下げた。そして、水俣病で死んでいった人たちの慰霊碑の周りに自作の野仏をたくさん建てる活動を続けられたという。
また杉本栄子さんは、水俣病で口ではいえない苦しみを抱えながら、 「チッソを許す」と言われた。
かって杉本さんは以前はチッソ恨み、損害賠償請求の先頭に立って活動しておられた。
その時心の中は国やチッソに対する怨念でいっぱいであった。
しかし、国やチッソを許さないと自分の精神状態は苦しいばかりだっという。
国やチッソを「許さんと自分がきつか」と言われた。
相手の非ばかりを探しまくり、相手とのにらみ合いばかりの生活は精神的には地獄の苦しみがある。
理不尽なことを引き起こしたチッソの悪態の事実を認めて受け入れることをしないと、自分の精神状態がボロボロになってしまうといわれた。
杉本家がある集落には、 「のさり」という独特の言葉がある。
この言葉の意味は、幸運に限らず、病も不運もすべて天からの授かりものという意味です。
今となっては重い病やチッソによる理不尽な公害を、起きてしまった事実として認めるしかない。
そこを出発点にして生きていくしか方法はない。そんな生き方が人間が生きていくということではないのか。公害を引き起こした企業を憎み、自由の効かなくなった自分の身体疾患を否定するばかりの生活は、生きがいが持てず、みじめな気持ちになるばかりで精神的にきついということが身にしみてわかったといわれているのである。
水俣病の原因を作ったチッソという会社に対して闘争を挑んでいくことは大切なことです。決して公害を垂れ流す企業は野放しにしてはならないと思う。
もし闘争をあきらめてしまえば、チッソという会社は有機水銀を海に垂れ流すという事をいつまでも続ける。そして環境汚染を繰り返し、いつまでも人々を苦しめる。
胎児性患者は、生まれてきた時から死ぬまで障害と付き合わなければならないのだ。
そういう場合は、周到に準備して闘いを挑まなければならないと思う。
その上で、先に述べたように「チッソを許す」という考え方も大事なのかもしれない。
チッソを恨み、 「昔の安全な海を戻してくれ、健康体に戻してくれ」と思ってみたところで事実は覆えすことはできない。
また地元にはチッソという会社のおかげで、生計を成り立たせている多くの住民がいる。
その結果、水俣市に住んでいる人同士が対立して生活しにくくなっていた。
「チッソを許す」というのは、体の自由が効かなくなった事実を受け入れるという面がある。
事実を認めて、そこを出発点として生きていく方が、どんなにか精神的に楽な生き方ができるのではないだろうか。事実に向き合えばそこから新しい展開が開けてくる。
そうすることで、自己否定に陥らず、自分たちが正面から苦悩と向き合うことができる。
また自分達の体験をより多くの人に知ってもらう活動などに取り組むこともできるようになる。
そうすれば自分達も窮地の中で、生きる意味を見出して生きがいを持って生きていけるのではなかろうか。