カテゴリ:観念重視から事実重視への転換
森田理論は、基本的に、どんなに承服できない事実であっても、それを受け入れる態度が大切であると言っている。そういう態度を身につけることをお勧めしているのである。
では、事実を受け入れない人はどのような態度で周囲の人に対応しているのでしょうか。 1 、何か問題が起きると、 「それは私がやったのではありません」 と事実とは異なる嘘をつきます。 そして他人が納得するようなアリバイを捏造して、いかにも自分は無関係であるように装います。 明らかな証拠がなければ、いくら嘘をついても他人にわかるはずはないという態度が見え見えです。 今の法律は、明らかな証拠がないと、その人を罰することはできません。 それを逆手に取って、証拠隠滅を図るのです。 その証拠隠滅がバレそうになると、また新たな嘘をつきます。 嘘が嘘を産んで次第に辻褄が合わなくなってきます。 2 、他人に責任転嫁する。 「この問題は上司の指示によってやりました。したがって責任は私にはありません。罰せられるべきは上司です」 「前の担当者がずさんな管理をていたために、このような事件が起こりました。私は被害者なのです」 3 、 「この事件はたいしたことではない」などと事態を過小評価することです。 「たかが1時間遅れただけじゃないか」と待ち合わせ時間に遅れたことを軽く取り扱う。 主人が大事にしていた花瓶を壊したときでも、 「たかが花瓶ひとつが壊れただけではないか」などと開き直る。学校でイジメで子供が自殺したとき、いじめた側の生徒が「あれはイジメではなくて、遊びでした」と平気で言う。虐待された子供が亡くなり、逮捕された親が、 「あれは虐待ではなく、しつけでした」などとシラを切る。 4 、大きな問題が発生したのに、開き直って正当化する場合もあります。 原子力発電所の大事故が起きても、 「資源の少ない日本で原子力発電以外に何があるというのだ。今後も積極的に推進していく必要がある」 試験で不合格になったとき、 「あんな引っかけ問題を出す教師などペテン師のようなものだ」と自分を擁護しようとする。 5 、言い訳の言葉としては次のようなものがあります。 「しかし」 「でも」「魔がさしたのです」 「そうせざるを得なかったのです」 「つい他のことを考えていたので」 「無我夢中でついやりました」 「そんなつもりはありませんでした」 「冗談で言っただけです」 「あの時は体調が悪かったのです」 「忙しすぎて、ついうっかりとやってしまいました」 いづれも事実から目をそらして、責任を逃れようとする気持ちが見え見えです。 帚木蓬生氏は、言い訳と嘘で壁を作ってしまうと、反省や内省が生じません。 嘘と言い訳で、失敗は失敗を呼びます。どこまで行っても失敗の連続ですと言われています。 私たち森田理論学習を続けているもの者は、どんなに承服しがたい理不尽な事実であってもに素直に認めて、事実に服従して、事実本位に生きることを目指しています。 ここでは、事実を無視すると、さまざまな弊害が発生すること理解していただきたいと思います。 (生きる力 ~森田正馬の15の提言 帚木蓬生 朝日新聞出版 63ページから74ページを参照) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.08.13 06:30:08
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