カテゴリ:物の性を尽くす
田舞徳太郎氏は時間の量は計れるといわれる。
Aさんの一生の長さ、(a)80年です。 (b)時間の使い方は、逃避したり、怠けたり、言い訳をしたり、という具合にほどほどの時間を過ごしました。自分の能力の10%程度のいい加減な時間の使い方をしてきたわけです。 その結果は、ほどほどの人生への取り組みですから、(C)10%程度しか学べないし、気づけません。 「人生ってこんなものじゃない」という浅いレベルの気づきです。 これを計算すると、時間の量は、時間の長さ×時間の使い方×学んだもの、80×10×10となって、8000という数字が出てきます。これがAさんの時間量というわけです。 Bさんの一生の長さはAさんと同じ、(a)80年です。 その80年を「人生2度なし」の気構えで、必死に生きました。 何事にも真剣に本気で取り組みました。100%全力投球したのです。 その結果、多くのことを学び、100%気づくことができました。 「なるほど、生きることはこういうことか」と人生に対する悟りのようなものをつかみました。 Bさんの時間の量を計算すると、80×100×100ですから800000という数字が出てきます。 二人とも80年の人生を生きてきました。 しかし時間の量で見ると大差がついています。 この大差は、時間をどう使い、何を学び気づいたか、つまり如何に生きるかによってついたものです。 (気づきの成功学 田舞徳太郎 致知出版社 265ページより引用) 60年の一生、80年の一生、100年の一生と人さまざまですが、それだけではその人の生きた時間の量は計れないということです。 その人がどんなことに気づいてきたのか。どんなことに関心や興味を抱いてきたのか。 そしてそれらにどんなに精力的に取り組んできたのか。 実践や行動として真剣に取り組んできたのかということです。 その人の時間の量は、3つの掛け算によって決まるといわれているのです。 これを森田先生に当てはめると、64×100×100で640000となります。 いろいろな試行錯誤の末に森田療法という神経症に対する特殊療法を創始され、実際に多くの人に影響を与え続けていることを考え合わせると当然の結果だと思います。 森田先生は今でいえばあまりにも早い死でしたが、生きた時間量でいうと、我々が足元にも及ばない長い時間を生きたということができるのではないでしょうか。 私たちは森田先生より長く生きたとしても、時間量で森田先生を上回ることは難しいと言わざるを得ません。でも少しでも近づきたい気持です。 毎日緊張感を持って日常茶飯事に取り組むこと。 興味や関心のあることには、積極的に取り組んでみること。 夢や目標が見つかれば、どんどん挑戦してみること。 その中で興味や関心、気づきや、発見、工夫が次から次へと生まれてきます。 そして、時間を忘れるくらい早く時間が過ぎていくでしょう。 そういう状態になったとき、気づきと取り組みの数字が増えていきます。 結果として、人間の時間量は飛躍的に増えていくものと思います。 私もそういう人生を送っていきたいと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.04.07 19:31:06
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