カテゴリ:森田療法と他の療法について
アドラー心理学の中に目的論というものがあります。
人間は目的を達成するために行動しているのだという考え方です。 例えば、対人関係では、自分の存在を認めてほしい。 受け入れてほしい。仲間として扱ってほしい。 自分の気持ちや考え方を分かってほしい。 自分のやっていることを評価してほしい。 これらはほとんどの人にある欲望です。 アドラーは人間はそういう目的を持って行動する生き物だといっているのです。 その目的に沿って、目標を小刻みに設定して、努力精進していけば素晴らしい人生になります。 ところが努力を怠ると、実際には目標を達成できなくなります。 まず、目的が努力目標から「かくあるべし」に変わってしまいます。 すると、目的が自己否定するための道具に変わってしまいます。 目的のなかった時の方が精神的に楽に生きていけたというパラドックスに陥ってしまいます。 つぎに努力のいかんにかかわらず、周囲の人からの反応は厳しいものがあります。 自分の存在や人格を否定される。自分の気持ちや意見を無視される。 これからやろうとしていることやったことに対して非難される。 抑圧、否定、拒否、脅迫、無視、からかいなどのオンパレードです。 現実が目的からそれてしまったとき、とっさにとってしまう行動の中に次のようなものがあります。 周りの人に対して、不適切行為、迷惑行為、問題行動をとってしまうことです。 反発する。感情を爆発させる。怒りや腹だたしさを表面化させる。暴力や暴言をはく。 いじける。無視する。逃げまくる。後先考えない、気分本位の行動です。 これらは無視、否定され続けた自分に注意を向けてもらうという、初期目的は果たせています。 ただそれ以上のものではありません。つまり本来の目的からは外れています。 むしろ本来の目的からはどんどん離れてしまっているのです。 こうした反発は、相手にとって、肉体的、精神的に危険を感じる行為となります。 相手はすぐに、反撃に打って出ます。 売られた喧嘩を買っていると、人間関係は悪化するばかりです。 ここで大切なことは、本来の目的から目を離さないことです。 不適切行為、迷惑行為、問題行動の選択は本来の目的を見失い、手段の自己目的化が起きているのです。 自分の本来の目的は、自分の存在を認めてほしい。自分のことを仲間として受け入れてほしい。 自分の行動を評価してほしいということです。 そのための具体的な目標を設定して、努力していくことです。 一時的な対人関係の不快感にとらわれて、格闘することは本来の目的から大きくそれてしまうことを忘れてはなりません。 これは森田理論で学習した部分です。 人間には欲望があるから不安が出てくる。欲望が大きければ不安も大きくなる。 不安は欲望の暴走を制御してくれている。 その不安にことさら焦点をあてて悪戦苦闘することは、地獄の苦しみをもたらす。 欲望の達成を忘れないように心がけて生活することを最優先する。 相手から不適切行為、迷惑行為、問題行動を受けた場合は、すぐに反撃を加えて反発することも考えものです。アドラーの言うように、そのような行動は目先の目的だけではなく、無意識の領域にかかわる本来の目的が隠れていると考えてみることが重要です。 例えば、弟や妹が生まれた子供が不適切行為、迷惑行為、問題行動を繰り返すことがあります。 今まで自分一人がかわいがられていたのに、その状況の変化に対する自然な反発です。 その不適切行為を叱責、禁止するだけでは、なかなか収まりきれません。 かえってエスカレートしてしまいます。成長するにしたがって益々過激になってしまいます。 こんな時に相手の本来の無意識の目的は何かと考えてみることで、相手に対する対応は全く違ったものになります。いじめやあおり行為なども現象面だけを見て批判するのではなく、目的論から考えることで、事態打開の道が開けてくるのではないでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.01.29 06:20:05
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