カテゴリ:行動のポイント
森田全集第5巻99ページからの引用です。
最近、朝日新聞に、五重奏ということがでていた。 それは本を読みながら会話をし、字を書き、計算をするとか、同時に5種類のことをするということです。 聖徳太子は一度に8人の訴えを聞かれたとのこと、すなわち八重奏である。 私共も平常、2つや3つの仕事は同時にやっている。 例えば病院などでも、患者の家族に面会しながら机上の雑誌を読み、一方には看護婦に用事を命令するとかいうようなものである。三重奏である。 我々の日常は、誰でも同時にいくつもの方面の事を考えているのが普通のことである。 強迫観念でも、苦しみながら何でもできるものである。 神経質の人の考え方の特徴として、それを自分でできない事と、理論的に独断してしまうのである。 これを分かりやすい話でいえば、食事をしながら配偶者と話をする。 子供と会話を楽しむ。子供の食べている姿を見ている。 テレビのニュース番組などを見る。 新聞を見る。手紙やダイレクトメールなどを見ている。 今日の予定を確認している。部屋の温度調整をしている。 電子レンジのチンを待っている。風呂が沸く時間を気にしている。 お湯が湧くのを待っている。料理が出来上がるのを待っている。 実にたくさんのことを気にかけている。 いくつもの事が同時並行的に進行しているのである。 いくつものプロジェクトが同時並行で処理されているのだ。 そういう状態では精神状態が緊張状態にあり、変化対応力がある。 ひとつのことにのみ意識や注意が固定しているわけではない。 次から次へと意識や注意の向かう方向が切り替わっている。 神経症の蟻地獄に陥っている人は、食事をしていても、意識や注意の大半は、症状のことに固定されている。目の前で起こっていることには無関心、無頓着である。 精神状態は緊張感が失われて、うつろである。 変化にとっさに反応することはできない。 本来外に向かうべき注意が自己内省へと向かう。 それもネガティブで否定的なことばかり考えている。 神経症を克服した人は、興味や関心、気づきや発見、アイデア、問題点や改善点、課題や目標が泉のようにコンコンと湧き出ている。 森田先生のところから退院した人は、今まで気づかなかったこまごましたことによく気がつくようになったといわれている。停滞していた淀みに、勢いよく水が流れ込んで、異臭を放つ芥が一挙になくなっていくようなイメージである。 もし雑念恐怖、集中力について、意識や注意を一点に集中、固定することと考えておられるならば、それは認識の誤りであると森田理論は教えてくれている。 そうすればすぐに神経症を発症する。 様々なことに大いにとらわれる。しかしとらわれることが多くて、以前にとらわれたことは、メモしていないとすぐに忘れてしまう状態が私たちが目指しているところです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.06.03 09:14:54
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