カテゴリ:「かくあるべし」の発生
安冨渉さんのお話です。
幸福とは、感じるものであって、何を手に入れても、そこから喜びを直接感じられなくては意味がないのです。 たとえよい大学に入っても、そこにいることに幸せを感じなければ駄目です。 人からうらやましがられたり、褒められたりすることで、間接的に感じても、それは幸福の偽装工作にすぎません。 背が高くて、高学歴で、収入の多い男性と結婚しても、その人と居ることそのものから喜びを感じられなければ、意味がありません。 美人で、家柄が良くて、オシャレな女性と結婚しても、その人と居ることそのものから喜びを感じられなければ意味がありません。こんなものは、「偽装結婚」に過ぎないのです。 たとえ大企業の正社員になっても、その仕事そのものから喜びを感じられなければ、意味がありません。そういう会社はだいたい、会社そのものが、偽装でできている可能性が高いのです。 安冨渉さんは次のような経験をされているそうです。 1年浪人して京都大学に入学しました。 合格発表の時、ただホッとしただけでした。 その後大学院にも合格しました。 この時も、やれやれと思っただけで、うれしくはありませんでした。 そして、修士課程を経て、人文科学研究所の助手に採用されました。 採用されたときには、本当にホッとしました。が、うれしくはなかったのです。 若いときに立派な論文を書いて「日経・経済図書文化賞」を受賞しようと思っていました。 34歳の時に受賞しました。この若さでの受賞は異例なことでした。 どんなにうれしかろうと思っていたのですが、ホッとしただけでした。 これらの経験を思い返すと、私は「○○したい」と強く念願すると、そうならなかったら「もう死ぬ」くらいに思い込むのです。 そうすると人間は必死になるもので、何とかそれを実現してしまいます。 しかし問題は、そうなったときにも、ちっともうれしくない事なのです。 (生きる技法 安冨渉 青灯社 夢の実現についてより引用) 安冨さんは目標をたてて、懸命に努力して、すべて見事に達成されています。 難関を乗り越えて目標を達成された安冨さんは元々の能力が高いのだろうと思います。 ところがホッとするけれども、心の底からの喜びは湧き上がってこなかったといわれています。 この心理は、森田理論学習をされた人なら、すぐにそのからくりが分かるだろうと思います。 何が何でも有名大学に合格しなければならない。 有名企業に採用されなければならない。 関わっている研究で、権威ある賞を受賞しなければならない。 このような「かくあるべし」を自分に押し付けてしまうと、たとえ達成しても、そのあと憂うつ、空虚感、自己疎外、生の無意味さが付きまとってしまう。 まして、目標が達成できないということになると、自己嫌悪、自己否定に陥ってしまいます。 これはオリンピックの代表選手が、何が何でも絶対にメダルを獲得しなければならないと思って試合に臨むようなものです。 「○○しなければならない」と自分を追い込むことは、その反対に、もし獲得できなかったときはどうしようというプレッシャーとも戦わなくてはならなくなります。 そのような見えない敵とも戦いながら、メダルを獲得することは至難です。 その分、普段の練習で出せたパフォーマンスが出せなくなってしまいます。 たとえ運よくメダルが獲得できたとしても、ヤレヤレとホッとするだけで、思っていたような喜びは湧き上がってこない。 反対に、結果はその時の運で決まってしまう。 神様のみが知るところであると開き直れたらどうでしょうか。 私は、メダル獲得に向かって4年間たゆまぬ努力を続けてきた。 その力を存分に発揮することだけに集中しよう。 どんな結果がでても潔く受けよう。 もくもくと頑張ってきた自分を誇らしく思う。 競技を精いっぱい楽しみたい。 これはプロセスを大事にした、「努力即幸福」の世界ですね。 これは別の言葉でいうと、現実、現状、事実を大切にし、達成可能な目標に向かって這い上がっているイメージを連想させます。 「かくあるべし」で上から下目線で叱咤激励している態度とは全く違います。 プロセスを大切にした生き方は、勝ち負けに過度にこだわらなくなり、今現在をいかに充実させて過ごすかに集中するようになります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.08.17 06:35:17
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