カテゴリ:観念重視から事実重視への転換
親の我が子に対する接し方が、子どものその後の人生に大きな影響を与えます。
そしてそれは次の世代にも伝播していくのです。これが恐ろしいです。 ですから過保護、過干渉、放任、虐待などは避けたいものです。 子どもができたら、夫婦そろって、仲間とともに、子育ての学習をし、情報交換することが大切だと思います。 私は父親に叱責、非難、否定されて育ちました。 楽しい思い出というものは、何も思い出すことができないのです。 父親に叱られないように、顔色をうかがいながらいつもビクビクしていました。 父親は自分を守ってくれるような存在ではない。 自分に危害を加える、恐ろしい存在だったのです。 その父親も自分の親から過干渉気味に育てられたので、自分の子供にどう接していいのか分からなかったのだろうと思います。 そんな子供が大人になった時どんなことが起きたのか。 何をしてもミスや失敗するのではないかと考えるようになりました。 自分に自信が持てない。他人の視線を常に意識するようになりました。 他人の思惑を気にして、常に他人に振り回されているような生活になりました。 ミス、失敗、弱点、欠点があると、周りの人たちから、叱責、非難、否定されるに違いない。 存在自体が否定され、集団から追い出されるようなことがあると生きていくことはできないだろう。媚びへつらってでも、なんとか命だけは助けてもらいたいなどと考えていました。 人間は本来、目の前の日常生活、問題や課題、目標や夢などに向かって外向きに生きていくことが宿命づけられています。ところが私の生き方は、外に向かって発揮されるエネルギーが、常に内向化しているのです。しかも悲観的で否定的な考え方ばかりしているのです。 将棋でいえばね専守防衛です。防御ばかりに力を入れて、相手と戦うという気持ちがないのです。これでは勝てるわけがありません。最後には自滅してしまいます。 何ともつらくて、情けない。苦しくて仕方がないのですが。コールタールが体中にねっとりとこびりついているようでどうすることもできないのです。 人間に生まれてきて、何かいいことがあったのか。いや一つもなかった。 私はただ苦しむために生きているのかという思いが頭の中からなくならないのです。 自己否定観に取りつかれている人から、どうすれば自己肯定観が持てるようになりますかという質問を受けます。私の経験から、酷なようですが、「それは無理です」と答えるようにしています。人から話を聞いただけで、体にこびりついたコールタールを洗い流すようなことは、とても難しい。困難です。少なくとも私にはできません。 他人に助言するなどということはできません。 私にできることは、みじめなようですが、そういうタイプの人間であると認めることだけです。 一生涯他人の思惑が極端に気になる。それは根本的には修正不可能である。 つまり開き直ってしぶしぶ、そういう人間として生きていくと覚悟を決めるしかない。 これから一生涯人の思惑に振り回されながら、ビクビクハラハラしながら生きていくしかない。 残念ながらこの道しか残されていないと思うのです。そのように覚悟を決めているのです。 その出発点に立つことで、2つのことに注意を向けている。 一つは森田理論で学んだ「不即不離」です。 広く薄い人間関係を築いていく。必要な時に、必要に応じて、必要な人間関係を築いていく。 特定の人と親密な人間関係を築いていくという方針は、私のようなタイプの人間にとっては、葛藤や苦悩を抱えやすい。そうかといって人間関係を遮断するわけにはいかない。 そうすれば、それこそ自給自足で仙人のような生活を強いられる。 引っ付きすぎず、離れすぎず適度の関係を幅広く構築していく。 今までは、親密な人間関係を5人ぐらい持とうとしていましたがうまくいかなかった。 それは人間2人いればすぐに対立する。親密な人間関係はカラスのコップのようなもので、落とせばすぐに壊れる運命にあるのです。反対に仮に100人ぐらいの人と薄い人間関係を広げて置いて、必要に応じて渡り歩いていれば、人間関係のトラブルは抱えにくい。 結果として自己否定観で苦しむことは避けられるのではないかと考えているのです。 もう一つは凡事徹底です。どんなにつらいことがあっても、日常茶飯事だけは手を抜かないということです。手を抜くと、つまらない余計なことを考える時間が増える。 生活が常に外向きで、目的本位の生活になるためには、生活を維持して豊かにするための日常茶飯事に真剣に向き合うことです。それで充実感を味わうことになります。 その基本は3度の食事をきちんと整えることです。たまには外食もいいでしょう。 しかし基本は自分の力で整えていくことです。 そのために私は事あるごとに家庭菜園をお勧めしています。 食材を自ら作るのです。食を徹底すればそういうことになるでしょう。 食材の調達、買い出し、料理、後片付けなどに力を入れている人は、自己否定観で苦しむことはなくなると思います。 以上の2点を心掛けて生活しています。 それで自己肯定観が育ってきたのか。これは正直上手に説明はできません。 そのようなことを考えることがなくなったというのが真実です。 毎日忙しく生活していますということだけはいえます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.08.19 06:20:05
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