カテゴリ:不安の特徴と役割、欲望と不安の関係
森田先生は集中するということについて次のように説明されています。
人間の自然な心は、常に目的物に向かってのみ注意が集中するのが普通である。 薪を割ろうとすれば、薪の中心に向かって注意が集中してくるのである。 ところが神経症の患者は、打とうとする斧に添えた手の動かし方や、自分の姿勢のことばかりに注意が向いて、さらにそんな姿を人はどう思うだろうかというふうに発展して、益々注意の向けどころが間違ってくるのである。 これはたとえば戸締りが気になる人、ガスの元栓が気になるという人は、確認行為をしている時はそのことに注意を集中しなければならないということだと思う。 色々と雑念のようなものが湧き上がってくるが、「今、ここに」注意や意識を集中しなければならない。 他のことを考えながら上の空で確認行為をしてしまうと、時間が経つときちんと確認をしたのかがとても不安になります。 念のために家に引き返して再確認ということにもなりかねません。 確認行為に意識を集中して、2度か3度繰り返せば、意識的行動になりますので、確認行為は「大丈夫だ」という安心行動につながります。 これは現実的な不安を感じたときは、一旦は好むと好まざるにかかわらず、価値判断しないでその不安にきちんと向き合うことが肝心だということです。 不安を感じたときに、きちんと向き合うことを軽視していると、その不安は膨れ上がってしまいます。つまり神経症の原因になるのです。 森田先生はそれとは別に、集中することは「無所住心」ことだと言われています。 井上常七氏に、「僕は今君の診察をしているんだけれど、(庭で作業をしている患者が見えるんですね)あの作業は間違っていないか、どうしているかなと見たり、それも気になる。外来の患者が気になったり、いろいろ気にしながら、君のことを見ているんだ。少なくとも3つ4つのことに心が流れているんだ」 昆虫の触角のように四方八方にアンテナを張って、その時々の気になることに一旦注意を向けている状態が集中していることだと言われているのです。 何事も一旦は気になりながらも、確認が終わればすぐに次の気になることに関心が移っていく。 神経を一つのことだけに集中させている状態は、集中している姿ではない。 これでは周囲の変化に迅速に対応することができなくなってしまう。 流れゆく目の前の変化に、次々に注意や関心が流転している状態が集中しているということである。 この2つはまるで反対の考え方のように見えますが、不安の取り扱い方としては、2つとも大切なポイントだと思います。 まず不安が立ち上がってきたら、その不安にきちんと向き合うことが肝心です。 神経質者の場合は不安からすぐに逃げてしまうことが多い。 不安を悪者と決めつけてすぐに取り除いてしまおうとする人もいます。 次に不安に注意を向けて、たいした問題でなかったら、その不安からすぐに離れることが必要になります。 人間は誰でも、生活の中で大小さまざまな心配事や不安が湧き上がります。 きちんと生活している人は、いつまでも一つの不安と関わる余裕はないはずです。 ここで肝心なことは、次の心配事や不安に注意や意識を振り向けていくことです。 そして処理できることはすぐに処理をする。 処理できないことは性急に処理しないで、後日の懸案事項として残す。 とりあえず目の前に現れた心配事や不安の方に集中して対応していく。 不安に集中する考え方は、2023年8月25日と7月27日にも分かりやすく説明しておりますので、興味のある方はご参照ください。 京都 醍醐寺五重塔 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024.06.04 10:21:42
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