カテゴリ:純な心、直感、初一念
「純な心」は森田先生の造語です。聞きなれない言葉です。
この言葉が理解できないと、森田の核心部分に近づくことは難しいです。 一般的には自分の感情や気持ちに素直になることと捉えている人が多いようです。 それは間違いではありませんが、なにかつかみどころがないような感じです。 分かったようで実はよく分からないという人が多いようです。 ということは日常生活の中で活用するための手掛かりがつかめない。 「純な心」の理解は、2017年9月7日に「初一念という意味」で投稿しています。これを読めばすぐに理解していただけるものと思います。 改めまして再度投稿してみます。 「純な心」を理解しようと思えば、「初一念」から入った方がよいと思います。 ここから入るのが「純な心」をより正確に理解できると思います。 「初一念」も難しい言葉ですが、別の言葉に言い換えれば理解しやすいと思います。 森田先生は、「初一念」について次のように説明されている。 我々がものに驚き、あるいは喜ぶ時、その刹那には、我そのままであるが、ハッと我に返るとき、それが初一念である。 同じく花もしくは恋人に対して、自分がそのうちに同化した時、我そのままであって、現在にハッと振り返るとき、初一念である。 森田先生が言われている「初一念」とは、物事に接したとき、最初に湧き上がってくる感情のことを言われているのです。 言い換えれば素直な感情、直感、最初に湧きあがってくる感情のことです。 これは初期段階のほんの一瞬に湧き上がってくる感情です。 意識して掴まえないとすぐに忘却の彼方へと消え去ってしまうという特徴があります。 そしてすぐに、理屈、観念、理想、先入観を含んだ感情が湧き上がってくる。 これは「初二念」「初三念」と言われています。 人間は大脳が高度に発達したために、良くも悪くも、無意識的に理屈、観念、理想に重きを置く生き物に進化してきたのです。 「かくあるべし」という観念の世界から現実の不安、恐怖、違和感、不快感などをコントロールしようとしているのです。 それが人間に精神的な葛藤や苦悩を招き寄せているのですが、その自覚がないのがもどかしいところです。 森田では「初一念」を意識して掴まえて、そこを出発点にして対応していきましょうと言っているのです。 ここが理解できたら、実際の実例で裏付けをとるとよいと思います。 問題が起きた時怒りの感情が湧いてくることがあります。 例えば母親が子供に「早く風呂に入りなさい」と言ったとします。 子どもは炬燵に入り込んで転寝をしていて親の指示に従おうとしません。 時間が経つほど、親のイライラはどんどん膨れ上がり、そのうち怒りへと変わっていくでしょう。そして親子喧嘩を始めることになります。 その時親が意識しているのは怒り、腹立ちだと思います。 このとき怒りの前の「初一念」思い出すことができれば対応が変わります。 このときの初一念は「悲しみ」「落胆」「無力感」のようなものだと思います。 自分の思い通りにならない現実を目の前にして心の痛みが湧き上がってきたのです。もしその気持ちにきちんと向き合うことができれば、親子の対立は回避できるかもしれません。 9月7日の投稿では中学生の女の子の帰宅の例で説明しています。 父親が連絡もしないで帰宅した子どもに怒りを爆発させましたが、怒りの裏に隠れていた初一念は、「かわいい子どものことが心配で仕方がないというイライラ」でした。このことが意識できれば、子供を叱責することは抑えられたと思われます。 森田先生は、皿を落として割った時のエピソード、野良犬に兎をかみ殺されたエピソードで「純な心」について説明されています。 言わんとされていることは全て「初一念」の感情のことです。 「初一念」から出発すると、隠蔽やごまかしや責任転嫁はなくなるはずだと言われています。 「純な心」を理解して生活に応用できるようになると、人間関係はすぐに好転します。是非とも自分の体験で確かめてみて下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.05.25 18:02:03
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