カテゴリ:森田理論の基本的な考え方
高良武久先生のお話です。
われわれは富士山を見て非常にいい景色だという。 富士山が日本のシンボルみたいに立派な山で、霊峰なんていう名前を付けたりするけれども、なるほど富士山を眺めていい景色だと、立派なものだというふうに思うのは富士山の利の方面だけで、富士山の裏側の人は、富士山があるために日のあたりが悪くて閉口しているんだね。 それだけその影が多いんだな。だから富士山にしても非常にいい面と人に迷惑を与える面があるということですね。 神経質な人は、自分が気が小さい、いろんなことに心配する、ということでずいぶん自己嫌悪に陥るということが多い。 しかし、そういうようなことは、一応非常な欠点のように思われるけれども、やはり必要なこともあるわけですね。 ものごとをやる場合に、細心でやらなければ、いい仕事はできないんですよ。大雑把にやったってできないですよ。みんな細かく気をつかってやるんですね。 細かく気をつかってやらなければいい仕事はできないんだから、気が小さいということはそういうふうに、外界のものごとを処理することにそれを使っていけば、それは長所となる。 しかし、自分自身のことばかりに気をつかって、自分を守ることに一生懸命気をつかうと、それにとらわれて非常に萎縮しますね。 ものごとに用心深くなりすぎて、そして絶対に安全でなければやらないということになれば、手も足も出なくなってしまう。 つまり、これは適度の感覚がないということですね。 一方に極端にはずれてしまって小心になって、自分のことばかり一生懸命に心配している。これはやはり一つの極端ですね。 しかし心配、苦労が全然なくてなにごとも楽観的に見るということになれば、これも極端であって、ものごとを希望的観測ばかりやって楽観していれば、失敗が多いんだから、それも極端でやはり順応できないということですね。 (生活の発見誌 1992年3月号より) この話は両面観の説明です。 鉛筆を見るときは全体を見ないと正しく見たことになりません。 鉛筆削り器で削った真の先ばかり見ていると、先のとがった黒い三角形の物体だったということになります。 その反対ばかり見ている人は、6角形で真ん中に黒いものがある物体だったということになります。真ん中ばかり見ている人は細長い物体だったといいます。 部分的には合っていますが、全体的には真実は見えてこないことになります。 これは森田理論を理解するときも応用できます。 森田理論は、基礎的な学習が終わった後は、森の中に入って一本一本の木を丹念に調べていくよりも、先ず森全体を眺めて森田理論全体像を頭の中に入れると理解度が格段に上がります。 巨大迷路ではその中に入ってしまうと、なかなか出口は見えてきません。 ところが丘の上から巨大迷路を見て、出口から入り口を探していくと比較的早くルートが見つかります。 森田理論全体像は4つの柱があります。 それらが相互に関係しています。 念のため図解は2023年6月10日の投稿をご覧ください。 関連記事は2013年3月29日~31日にあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.03.14 06:34:53
コメント(0) | コメントを書く
[森田理論の基本的な考え方] カテゴリの最新記事
|
|