カテゴリ:観念重視から事実重視への転換
渡辺和子さんのお話です。
私たちは誰しも、「ありのままの自分」と、「見てもらいたい自分」の、二人の自分を持って生きている。 「ありのままの自分」は有機体だから、病気もすれば歳もとる、感情が高ぶることもあればおちこむこともある自分だ。 ところが他人にそういう自分を見せたくなくて、「見てほしい自分」を演技するところに無理が生じ、不自由になってしまう。 「ありのままの自分」と、「ありもしない自分」との間のギャップが大きければ大きいほど、隠すものが多くて疲れは激しい。 絶えずそれらしく見せかけ、ボロが出ないよう気を使わないといけないからだ。 それはちょうど、着なれないよそゆきの着物を一日中着ていて、家に戻って脱いだ時に感じる疲れのようなものである。 そんなに苦労してまで、どうして「ありもしない自分」を保とうとするのかといえば、多分、そういう自分でないと他人が相手にしてくれない、他人に好かれないという恐れがあるからではなかろうか。 デートの時に、念入りに化粧し、相手の気に入るように振舞おうとする心理に似ている。 このような「見せかけの自分」から自由にしてくれるのは、自分を、ありのままの姿で愛してくれる人との出会いである。 「ふだん着のあなた、素顔のあなたでいいのです。それが好きなのです」という人に出会って、初めて、よそ行きの装いとその窮屈さから自由になり、人は本来の自分の姿を見つめる勇気を与えられるのだ。 (目に見えないけど大切なもの 渡辺和子 PHP文庫 28ページ) 「ありのままの自分」で生きぬき、75歳で全身ガンで亡くなられた樹木希林さんをご紹介したい。 娘の也哉子さんによると、樹木希林さんは、「恥ずかしいことほど人前に晒す」ということを信条としていた節がある。 2018年公開の「万引き家族」という映画で入れ歯を外して演技された。 髪もぼさぼさにして手入れもしないで出演した。 この映画を見た人から「女優がそんなことをするのは、ヌードになることより恥ずかしいことだ」と言われたそうだ。 この映画で、みかんにかぶりつくシーンがありました。 入れ歯を外しているから、歯茎でしごくのよ。 歯がないっていうことはそういうことなのよ。 人間が老いていく、壊れていく姿を見てもらいたかった。 樹木希林さんは、演技や自分の生き方や考えを通じて森田の神髄を語られているように思う。 一部を紹介します。 ・欲や執着があると、それが弱みになって、人がつけこみやすくなる。 ・人間でも1回、ダメになった人が好きなんです。 ・しっかり傷ついたりヘコんだりすれば、自分の足しや幅になる。 ・どんな素材でもそれが光る場所に置いて活かしたい。 ・淡々と生きて淡々と死んでいきたい。 (一切なりゆき 樹木希林 文芸春秋 目次より) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024.08.22 07:49:21
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