<『甘苦上海I』1>
図書館で『甘苦上海I』という本を、手にしたのです。
日本人のキャリアウーマンが、中国人社会で生きるとはどんなことなのか・・・
興味深いわけです。
【甘苦上海I】
高樹のぶ子著、日本経済新聞出版社、2009年刊
<「BOOK」データベース>より
仕事も生活もこだわりを満たして生きている。それでもまだ、何かが欠けているー51歳の女性企業家・早見紅子の前に、突然現れた蒼い気配を漂わせる39歳の男。欲望が肯定される街で、恋の冒険が始まる。
<読む前の大使寸評>
日本人のキャリアウーマンが、中国人社会で生きるとはどんなことなのか・・・
興味深いわけです。
rakuten甘苦上海I
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この小説の語り口を、ちょっとだけ見てみましょう。
p32~36
<長楽路五十二弄三号楼>
本心からの言葉が、この男にはあるのだろうか。
残飯みたいな夕食…を、ご馳走するのはわたしである。こんな表現しかできない京に恋人が本当にいるのかと、不思議な気持になった。上海女性の恋人がいる、ということ自体が、フィクションなのではないか。
アナベル・リーの本店でマネージャーをしているのだと、そこまで言うんだから、多分本当なのだろう。
アナベル・リーは、いま上海の女性だけでなく、日本からの観光客にも人気の小物ブランドだ。外灘の本店と新天地の直営店を持っていて、主だった高級ホテルでもホテルギフトとして売られている。ハンドバックやクッションカバーなどは、中国古典の絵図の優しさを上手に生かしているけれど、中間色の淡々としたイメージはイタリイアブランドなどと較べると、地味と言えなくもない。強い個性で勝負をかけるブランドより、日本人には受けがいい。わたしのエステ店「Ladies SPA 紅」でも、アナベル・リーの、柳にツバメが舞うカシミアブランケットを使っている。
上海発のブランドはまだ珍しく、その本店でマネージャーをしているのなら、中国女性としては最上級の女に違いない。
上海育ちであっても、決して上海語は話さず、北京語を柔らかく使いこなす知的な女性が浮かんできた。日本語も滑らかなのだろう。
仕事が出来る上海の女性の多くは、北京語と上海語のほかに、英語と日本語が不自由なく話せる。語学力は高給をもらう条件でもある。
エステ業界は、仕入先だけでなく、付き合う会社も多岐にわたっていて、取引先に電話したとき、受話器をとった相手の受付女性が上海なまりの声で受け答えしたら、それだけで二流である。二流だと見られても仕方ない。
もちろん、「Ladies SPA 紅」でも、仕事中は上海語を禁じている。
アナベル・リーの本店マネージャーときくだけで、すっくとして知的な女性が見えてくるのは、日本では考えられない中国女性の優劣、レベルの落差を知りすぎているからだが、そんな優れた女性が京の恋人なら、京もまた、わたしにはまだ見えていない別の姿があるのだろう。
バーを出て、さっき前を通り過ぎた首席公館酒店に入っていく。石の門扉に打ち付けられた古い鉄板には、新楽路八十二号、の表示…番地の上の説明版に、この建物の歴史的ないわれが書かれている。1932年にフランス人建築家により建てられた云々。誰とかの会社のオフィスとして使われていた云々。
けれどその会社、表向きはまっとうな商社だったが、実際には軍閥と租界組織に守られてアヘンを扱っていた闇貿易の魔窟であったことの説明はない。京劇役者や政治家、金や性で社会を操り操られる人間たちが、着飾って夜会を愉しんだ社交の場でもあった。アヘンは膨大な利益を生んだらしく、この建物にも十分なお金がかけられ、今はホテルとしてさらにセンスアップされている。
こうした歴史的な建物は、老房子と呼ばれているが、いま上海中の老房子が、ホテルやレストランに生まれ変わりつつある。
前世紀初頭、中国に進出する列強各国はそれぞれの文化を持ち込んだ建物を、それぞれの租界地区に造ったけれど、とりわけこの准海路近辺はフランスの匂いが今も色濃く漂っている。
わたしの接待相手への土産は、紅の字を焼き付けた菓子と、やはり紅の字をアレンジした扇子だが、ホテルからのプレゼントとしていつも季節の赤い花が一輪添えられた。八十年前は多分、現金の土産が持たされたに違いない。
日本では紅色と赤は違うけれど、中国では同じ赤である。金魚の赤が富裕と幸運の象徴であるように、紅の字も好まれる。
わたしの名前は父親が付けてくれたが、日本の古典文学の中にある紅からとったそうだ。
最上階のオープンテラスのフレンチは、海鮮料理の個室ですこし馴染んだあと招待すると、見晴らしの良さと開放感で話が弾み、商談はおおむねうまく行った。
京と一緒に、エレベーターで最上階のフレンチに向かう。仕事以外でこのホテルを使うのは初めてだ。
「日本からの客をこのホテルに泊めると、すごく喜んでくえるの。こんなに沢山、新しいホテルが空に向かって伸びているというのにね…日本人はまだ、上海バンスキングの世界やオールドジャズが流れる上海が好きなのね」
エレベーターは狭く、京とカラダが触れあいそうだ。このエレベーターも、商売相手を身近に引き寄せる小道具になった。エレベーターの扉が開いて、外に出たときの広がりと見晴らしも接待のうちだった。
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