図書館で『硬派の肖像』という本を、手にしたのです。
副題が「ぶれない男、31人の人生訓」となっていて興味深いのだが・・・
とにかく取り上げた人選がええわけです。また、画像も多くてビジュアルなところもいけてます。
【硬派の肖像】
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/43c12a2e431542d41a41daba69ed0d5fb7597d67.26.9.9.3.jpeg)
小学館ムック、小学館、2019年刊
<出版社>より
女性月刊誌『Precious』の好評連載「硬派の肖像」が、一冊のムックに。真摯、ひたむき、木訥ーーそんな言葉が似合う筋の通った生き方をする男たちが、伊集院静を筆頭に31人勢揃い。ほれぼれするカッコいい写真と示唆に富んだ言葉から、彼らの硬派な生き方に迫ります。インタビューから人生訓をピックアップし、今の時代に響く名言集としても必読。
<読む前の大使寸評>
追って記入
rakuten硬派の肖像
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まず、浅田次郎から見てみましょう。
p132~137
<浅田次郎>
“平成の泣かせ屋”の異名をとる。当代きってのベストセラー作家は、東京都下の風情ある住まいで執筆の手を休めて迎えてくれた。着慣れた紬がよく似合う。
「普段から仕事着は着物で、胡坐をかいて書くから」
月刊、週刊と小説、およびエッセイの連載を常に5本ほど抱え、その間も講演、取材旅行・・・と多忙を極める。40歳を過ぎての遅咲きの作家といわれたが、その後、溢れんばかりのエネルギーを放出、これまで120冊もの著作を世に送り出し読者の心を揺さぶってきた。
職務に忠実であり続ける寡黙な男を描いた代表作『鉄道員』をはじめ、企業の在り方や戦争を綴る社会派もの、抱腹のコメディ・・・と描く世界は驚くほど広い。そして数多くが映像化されてきた。
「小説の大衆食堂といわれているらしいが、レストランといわれるよりずっといいですね。年がら年中、書くものを考えているが、あるときふっと降りてきます。ダーン! とぶつかってくることも。夢で物語を見て、あわててメモすることもあります。ストーリーはそのあとから。
物語をつくるときにはまず思想が大切で、それさえあれば面白い話をつくのは簡単です。面白いだけで心棒がない小説はつまらないし、思想という背骨があれば、ユーモア小説でもいいものになりますね」
小説作法の話はとどまることなく、やがて文学史や人類史、芸術論へと広がっていく。「文章芸術とはそもそも俗なるものです。俗であってこそ価値がある」。透徹した眼で、しかし、話には抑揚があり、「・・・てなことなんだな」とまことに愉快。まるで浅田文学を“聴く”かのような時間が流れた。
「いい小説とは、心に残るものでなければなりません」
10代半ばから作家を志した。9歳のころに両親が離婚。戦後の闇市で一旗揚げたという、破天荒な父親に引き取られた。父の新しい家族とは一線を画して、父の経営する神田の喫茶店のビルの屋上のプレハブ小屋で、ひとり暮らしていたという。中学生となった氏の楽しみは、休日に「知と言葉に宝庫」であるかのような「神保町界隈の古書店を見て歩くこと」だった。
「安い文庫本を買って裏道りの喫茶店に入り、貪るように読書に耽った」。小説家の道は、早くから人の世の複雑さを肌で知ってしまったゆえだったろうか。「人々を興味深く観察する癖」はこのころから強かった。
「小学校のころから他人からものを教わることが大嫌いで、自分の頭で考えようとしてきた。教わるのは読み書きだけで十分。社会にもの申す? ああ、そういう気持ちは強かった。正義感、責任感だけはありました。両親にそういうものはまったくなかったから、反面教師だったかもしれません」
祖母が「色町の芸妓」だった。「古い東京の粋、美学のようなものが彼女にはあってね、それは自分の体に残っていると思う」。ライフワークだという小説『天切り松 闇がたり』シリーズの、盗人稼業の爺様が語る江戸前の、気風のいい、かつほろりとさせる思い出話にその素地がみえる。常に庶民の、下からの視線で描く。
「僕自身、いつまでたっても下っ端根性が抜けないんだ」
10代の終わり、三島由紀夫の割腹に衝撃を受け自衛隊に入隊。除隊後はアパレル業界へ。「食いふちを稼ぎながら」黙々と小説を書き投稿を続け、ついぞ作家になる道をあきらめなかった。
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