図書館で『中国の論理』という新書を、手にしたのです。
理屈のこね方・論理のパターンには日中間に違いがあると注目する著者であるが・・・深みのある洞察ではないか♪
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【中国の論理】
岡本隆司著、中央公論新社、2016年刊
<「BOOK」データベース>より
同じ「漢字・儒教文化圏」に属すイメージが強いためか、私たちは中国や中国人を理解していると考えがちだ。だが「反日」なのに日本で「爆買い」、「一つの中国」「社会主義市場経済」など、中国では矛書がそのまま現実となる。それはなぜかー。本書は、歴史をひもときつつ、目の前の現象を追うだけでは見えない中国人の思考回路をさぐり、切っても切れない隣人とつきあうためのヒントを示す。
<読む前の大使寸評>
理屈のこね方・論理のパターンには日中間に違いがあると注目する著者であるが・・・深みのある洞察ではないか♪
rakuten中国の論理 |
まず「はじめに」あたりを、見てみましょう。中国嫌いの著者のスタンスが見えるのがええでぇ♪
Pⅲ~ⅶ
<はじめに>
■謎の国
見た目にはとっつきやすく、わかりやすそうな中国は、ほんとうは謎の国である。
「ロシアのほうがはるかにわかりやすい」といったのは、西洋史学の大家だった。しかしわれわれ中国を専門に学んでいる者にとっても、やはり中国は謎である。その謎がおもしろい。おもしろさが嵩じて、うかつにも専門の職業としてしまった面もある。
■言行不一致
もっとも、おもしろがってばかりはいられない。不可解、謎というのは不気味で、不安をかき立てるし、実害を被る時さえある。謎の中国をめぐっては、往々にして不愉快な事象もまぬかれない。
言行が一致しないことは、その1つ。いっていることとやっていることが著しく異なる、というわけで、なかんづく政府の言動がきわだっている。政治・権力というのは、多かれ少なかれ二枚舌の習性があるものだが、中国は格段に甚だしい。
日本人からみれば、自らに関わる尖閣など、領土問題もそうだし、相手のことなら、その内政じたいがそうである。「腐敗」が蔓延しながら、「法治」を呼号し、しかも言論を弾圧しているのは、いかにも理解しがたい。
政府だけではない。全体についても同じ、やはり日本に対する態度が、典型的である。中国人の多くは「反日」だろうが、その同じ中国人が日本を好んで、大挙して「爆買い」にやってくる。どうにも不気味で、愉快な光景ではない。
もっともそれを極論して、全くのウソつき、と断じてしまうのは、いささか躊躇する。おそらく故意にウソをついているのではない。中国人じしんにとっては、むしろごく自然なふるまいなのだろう。われわれにはそれがウソ、不自然に見えてしまうところに、謎の核心がある。
にもかかわらず、日本人は往々にして、自らの常識で中国をはかりがちである。欧米人とはちがって、近隣に暮らし、姿形も似ているし、同じ文字を使っているからである。しかし言行が一致しないことが、中国の謎から来ているのだとすれば、それをウソつきと片づけてしまっては、単なる知的怠慢にすぎない。謎は謎として、向き合う必要がある。
■「一つの中国」
では、その謎はどうやったら解けるのか。そんな問いに対する解答があるなら、筆者が真っ先に知りたいところである。自身はようやく謎が謎であることを認識したにすぎない。
そうはいっても、謎であるとわかったら、貧しい知見ながら、その解き方を模索することはできる。なぜ言行が一致しないのか、そんなふるまいと、それをみるこちら側の常識・見方とが、どうしても食い違ってしまうのか。そうしたことを考えてみるのが、まず第一歩である。
(中略)
やはり現実は決して「一つ」ではない、けれどもその現実は認めがたい、だからこそ「一つ」であらねばならないし、「一つ」だといわねばならぬ。これが中国側の主張であって、やはりそこには、日本人の容易にはかりしれない論理がはたらいている。
■「論理」と歴史
こうした中国の論理、ひらたくいえば、理屈のこね方は注目に値する。そもそも理屈というのは、時と場合、ないしは立場によって千差万別、いろいろ変わっても不思議ではない。しかしそんな表に出る多様な理屈をこねまわす方法、あるいは主張を成り立たせる骨格には、身に染みついた一定のパターンがあって、たやすくは抜けない、変わらないものである。日本人には日本人の理屈のこね方があり、中国人には中国人の理屈のこね方があって、そこにこそ、まとまった集団の個性があろう。
だから個々の理屈、その字面はわかったような気がしても、理屈のこね方、論理に考えを及ぼすと、わからなくなってしまうことも少なくない。「一つの中国」は、その典型である。相手をほんとうに理解しようとするなら、そこまで考えなくてはならない。
だとすれば、中国の謎とは、その論理にある。なぜそう思考するのか、発言するのか、行動するのか。そこに通底しているはずの論理を考察してみようというのが、本書の試みである。
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