沖で待つ 絲山秋子
「勤労感謝の日」 と 「沖で待つ」 二編収録。「沖で待つ」は文藝春秋で以前に一度読んでいるが、今回単行本を手にとり読み返してみた。「勤労感謝の日」は、失業中の36歳の主人公、恭子がご近所のお節介なおばさんの勧めで、勤労感謝の日にお見合いをする話。好みとかけ離れた男性が現れ、お互いがお互いを値踏みする微妙な雰囲気の中、探るように会話が進む。恭子の胸の内が、赤裸々に明かされ興味深い。本音をぶちまけている。同姓しかも同年代の方にはかなり共感でき、うけそうな内容だ。デビュー作、イッツオンリートーク路線の絲山節がここでも炸裂して、小気味良い。恭子がたまらなくなりお見合いの席を逃げ出した後、後輩の水谷と呑みながら交わす会話がvividで面白い。テンポよく会話でストーリーを引っ張っていく文体だ。主人公が抱えるピリピリした感情の起伏をうまく表現していて、読ませてくれる。「沖で待つ」は、入社後同じ福岡に配属され、哀楽をともにした同期太っちゃんと及川の友情・同志愛を描いたもの。芥川賞受賞作なのでご存知の方も多いので、あらすじは割愛。読みながら、自分の同期を次々に思い浮かべた。入社後、緊張を抱えながら新入社員研修を受けた仲間。研修施設に泊りがけで勉強に行き、学生気分を根こそぎ引っこ抜かれながら、鍛え上げられたこと。その後各々適性が判断され、運命の配属先が決まり、そこからは皆バラバラで職場の怖い先輩から1からたたきこまれた仕事の数々。失敗談の数々。仕事に慣れるにつれ次第に距離感ができ離れたり、でもまた集まって飲んだり、時には一緒に旅したり。同期の絆は深く、本音をぶつけ合える気のおけない大切な関係だ。でも、同時にライバルでもあったりする。本音を晒けだしながらも、どこか相手と自分を比較したり、反対に警戒する部分もあるのではないだろうか?太ちゃんと及川の関係は、おそらく性別をも超越した理想系だと思う。自分に何かあった時、残しておくとまずいものを綺麗に処分してくれるよう頼める相手って、そう簡単には見つからないような気がする。こんな事、夫婦や家族には、身近すぎて頼めない。と私も思う。(彼らは、絶対見るなというと、見てしまうに違いないと確信する。それが、身内の人間の心理。)人間長く生きているうちに、なんやかんや隠しておきたいものが出てくるはず。私もゼロではない。日記とか昔の手紙とか捨て切れずに取っているものがあって、これが人目に晒されるのはご免!って類のものが、存在する。誰に頼もうか?いや、そこまで信頼できる人が見つからない内は、自分で思い切って処分しないといけないかな?なんて、本気で考える今日この頃である。太っちゃんの「しゃっくりノイズ」と最終ページの余白に永遠の別れを予感し、不覚にも涙してしまった。