「健康」という病 米山公啓
現代人の「この先もずっと健康でありたい」という願望は強く、それが今人々の永遠のテーマになっている。テレビや新聞等のメディアは、毎日のように健康・医療問題に関する情報を流し続け「健康でなければいけない」という風潮が、世の中にすっかり定着している。その裏で、そういった人々の心の隙間に巧みに入り込んだ健康産業がじわじわと業績を上げている。健康補助食品・健康機器の販売高激増やフィットネスクラブの普及などを見ても、いかに多くの人が健康に興味を示しているかがよくわかる。では、「健康であること」の定義は何であるか?と考えてみると、実は非常に不明確で曖昧なことのほうが多い。病気と健康の間のボーダーラインも例えば人間ドックや健康診断など検査機関によって微妙に幅があるし、またそれを評価する医師や患者本人の受け取り方も多種多様であると思う。また健康をフィジカル&メンタルでの両面で捉えると、肉体的には健康であっても精神面で病んでいる人々も最近では多くみうけられる。人間には様々な欲望があるが、お金で手に入れることが無理なのがこの「健康」なのだろう。だからこそ、様々な健康法や治療法が世の中に溢れるのだろうし、絶対的な健康を手にしたいという曖昧な理想がそういった安っぽい情報に振り回されることになる。「過剰で曖昧な情報に揺さぶられ、冷静に自分の健康を信じることができないのが現代人である」とこの本の著者は警告している。一病息災という言葉があるが、何かの病を持っていることで、それが自分の体をいたわることになる場合もある。絶対的な健康はあり得ないことを認め、病気と共存することにもっと理解を深めることが大切だと思う。私自身10年前に消化器系疾患により臓器摘出手術を受け長期経過観察を経て現在に至っているが、健康でいたときよりも術後のほうがより自分の体に注意していたわるようになった。食事にひとつにしても自分で出来る範囲の努力を常に意識するようになったし、トータルな健康留意も自然に学習し心掛けるようになった。病は必ずしもマイナス面ばかりを人に与えるわけではないと感じる。健康とは自分自身の意識の問題であり、人生に何らかの目的を持ちその目的達成の為に努力できる体力と気力を維持でき、自分の生活を充分に満喫できる状態にあることが、真の意味での健康ではないだろうか?と感じた。