告白 町田康
安政4年、河内国(現在の大阪南東部)で百姓の息子として生まれた城戸熊太郎が、35歳の時、大量殺人事件「河内十人斬り」を引き起こすまでの、生い立ちと告白が綴られる。読売新聞に連載され、谷崎潤一郎賞も受賞した作品。650項を超える長編(図書館貸出し単行本で読了・文庫は850項)で、その大半は事件に至るまでの彼の内部独白が占めている為、読むのに手こずり時間が掛かった。この本を読むまで、私はこんな事件が実在したことも、これをモチーフに、河内音頭の歌詞が作られ、歌い継がれていることさえも知らなかった。町田康は、「人が人を殺す」心理を、思弁と行動が伴わない熊太郎の生き様を通して、奔放な想像力と饒舌な河内弁で解き明かしていく。人は誰しも、社会の中で平穏に過ごしていく為に、よろいを被って生きていると思う。自分の本音を隠し、建前上、職場や組織や地域社会の中で、他者と上手く折り合いながら、暮らしている。しかし、己に偽りない正直な気持ちと、立場上実際に演じなければならない役回りの溝の深さに、疲れることはないだろうか?「本当は私はこういう考えなんだけど、それは今は絶対明かせないよね。」って事は、人生のあらゆる場面で、誰もが経験することのように思うのだ。熊太郎も、自身の心の内と、実際の行動が伴わないことに、始終苦しみ続ける。思弁的な自我と劣等感から、世間と上手くコミュニケーションがとれないままに成長し、村の人間からはつまはじきにされる。しかし、社会から徐々に脱落していく彼の時々の告白は、自嘲的でどことなく明るさも感じらた。彼の愚かさに、時には笑いも込み上がる。そして、共感もする。熊太郎のように、自分の想いを人に上手く伝えられず、他者との距離が図れず困惑する姿には、現代の人間に通じる部分があると感じた。獅子舞の面を被った熊太郎が、世間を面の内側から覗く場面があるが、自分の思弁と世間一般との隔たりを巧妙に体現していたように思う。己の私欲ばかり追求する村の人々への怒りが、臨界点に達し、嵐の後の濁流のように、激しく留まることを知らない感情のうねりとなって変化していく様は、迫力があった。