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テーマ:産業遺構・戦争遺構(9)
カテゴリ:おでかけ♪
長崎には戦争遺構が多く残されている。限られた日数で全てを見て回ることはなかなか出来ないが、今回行ってみて圧倒されたものをいくつか紹介したい。
・旧佐世保無線電信所(針尾送信所) 1922年(大正11年)に完成したという巨大な電波塔。鉄筋コンクリート造りの136mもある煙突のような塔が3基、上空から見ると正三角形に配置されている。近くで見ると不気味なほど圧倒される。戦後も1997年まで使用されていたというが、よくもまあ、攻撃されずに残っていたものだ。ということを現地の方に聞いたら、「戦争中は日本の無線はすでに米軍に解読されていて、その内容を傍受するためにあえて攻撃せずに残していたらしい」とのこと。 電波塔の中や当時使用されていた電信室などは見学(無料)できる。 煙突かと思いきや、電波を送信していた塔。上から見たら正三角形に配置されているそうだ 136mもあるので、傍に行くと圧倒される 内部の様子。何か不気味さを感じる 電波送信用の電源室跡 廃墟ではあるがきれいにしている ・無窮洞(むきゅうどう) 外から見るとただの防空壕かなと思うが、学校でもあったそうだ。太平洋戦争中に旧宮村国民学校(現市立宮小学校)の防空壕として掘られたもので、当時の校長の発案により昭和18年(1943)から昭和20年(1945)の終戦の日まで掘り続けられたそうだ。驚いたのは掘削は教師に指導された高等部の生徒(今の中学生)たちが行い、男子がツルハシで掘り、女子が整形を、下級生が運び出しを担当したとのこと。つまり子供達で造ったということだ。攻撃から身を守り、一方で勉強の場も自分達の手で確保したというのは頭の下がる思いだ。 洞窟入り口のようにも見えるが、防空壕兼学校施設 教室で、奥に教壇がある 鍬やツルハシで掘っていったんだなあ。しかも子供が作業していたっていうのだから悲哀を感じる ・旧佐世保海軍工廠(佐世保重工業) 造船所というだけでも、見ることがないので、そのデカさに圧倒される。元は海軍工廠というだけあって軍艦を作っていたのだろうが、今は巨大客船などを造っている。行った時は「飛鳥2」の造船の模様を眺めることができた。平屋もなく、全てオープンなんだな。 近づけないが、道路脇から見るのが上からなのでよく見える。 道路わきのフェンス越しにしか見ることはできない それでもドックのでかさはよくわかる ・魚雷発射試験場跡 片島公園という、公園感をあまり感じることのできない海沿いの場所に外側だけ残っている建物がある。 戦争の遺構であることを言われないと波止場跡か何かかと勘違いしそうだ。 魚雷発射試験場というが、名前からイメージのつかない遺構だ。 そばに行っても桟橋という感じ 何かの製造工場だったのだろうか お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.01.15 11:08:54
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