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東奔並走。

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2024.01.01
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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:お城・お寺 etc
長篠設楽原古戦場は、織田・徳川連合軍が武田勝頼率いる武田騎馬軍を三千丁もの鉄砲で打ち破った戦いの場として有名だが、今ではここで激戦が繰り広げられたのかと思うほど静かな田畑が広がっている。
跡地には騎馬軍の侵入を防ぐために設けられた「馬防柵」が一部再現されている。

三千丁ともなると鉄砲の雨で突撃も難しいだろうが、突撃しないという選択肢もあったろうに
溝を掘り、その上の土塁に柵を設けて、騎馬の突撃を防いだんだなあ
この戦で失った命を弔うかのようにお地蔵さまが置かれている

その前に、この戦いのきっかけにもなった舞台である長篠城跡にも立ち寄った。遺構としては空堀と本丸跡地、土塁程度であるが、川を挟んで、鳥居強衛門磔の石碑がある。
恥ずかしながら、鳥居強右衛門という人物を昨年の大河ドラマ「どうする家康」を見るまで知らなかった。しかし、命懸けで味方に援軍が来ることを伝えたその運命を知ると、当時の侍のブレない忠義の心に感嘆する。

主郭と堀の一部が残っている程度だった
本丸跡という標識はあるが、ないと何かはわからない
内堀跡土塁を囲うようにあるのでわかるけど
本当は逆さ磔だったのだが、説明上向きを変えているそうだ
この石碑の奥は本丸が見える。なので味方の目の前で磔になったんだが、勇気ある侍だ

高天神城は徳川と武田の間で攻防が繰り返された城で、難攻不落とも言われた名城。西の丸側に高天神社という神社があるが、本丸他、横堀や堀切、その他の曲輪など良好に残っている。今では階段を登っていくだけだが、当時はなかなか攻めにくかったんだろうな。
そんな難攻不落といわれた城も徳川軍による東側に築かれた六砦により補給路が絶たれ、孤立し、武田本軍の後詰もなく見捨てられ全滅という末路を辿る悲劇の場所でもある。

搦手口から登城する。この先結構急な道だ
本丸跡(東峰)には、何もない
西峰には、結構遺構があった
袖郭跡だ、堀切などもこの先残っている
空堀も長く残っている
高天神城遠望(駐車場付近から)。左が本丸方面になる。



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Last updated  2024.01.21 17:07:56
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