白洲正子さんが、著書『美は匠にあり』(平凡社)で、
天下の北大路魯山人を、ボロクソこき下ろしています。
余りに、爽快だったもので、ちょいとご紹介を。
魯山人って、気難しく扱いにくい人物として、有名でありますが
巷伝わる以上に、しょうもない性格だったらしい。
白洲女史は書いています。
「えばること、欲が深いこと、虚栄心の強いこと、それらはまだ、
許せるとして、有名人や金持ちの前には、友達も塵あくたの如く
扱われることには、付き合いの浅い私にも、さすがに我慢
しかねるものがありました」
長年世話になった人が落ち目になった時、
「あいつにはもう用はない」と平気で口にする、
そういう男だったらしい。
魯山人は著書で
「よく人を雇い、窯を築き、もって職工に自己好みなるものを作らせ、
それをもって得たりとするむきもあるが、(中略)
このやり方で出来たものは、無神経なる形骸のみをたくみに真似るも、
当然の帰結として、作品の上になんらの魅力もあろうはずがない。
言い換えれば、精神の力を欠いた、いわば名器の外装を凝らしているところの、
下劣な悪器たるに終わっているまでである」
と書いているわけですが、正子女史いわく、
「魯山人その人こそが、ろくろ師を雇い、釜の上手に窯をつかせ、
職人に自己好みのものを作らすことにおいて名人であった・・」
というわけです。
要するに、自分がそれをやっていて、よくも、しゃあしゃあと
エラソーに語るわね・・ということなのでありましょう。
「魯山人は書も巧かった、陶器も巧かった、
その他もろもろの覚えていられぬほど多くのものを造り、
みな巧かった。
が、はたして私はそれらのものの中から、
肝に銘じて、なにかをもらったことがあるだろうか。
残念ながら、ノウと答えるほかないのである」と。
魯山人は、日常使いの小皿や湯のみなんかに、
いい味を出した作品が多いのだそうですが、
「そんな金にならないこと、できるかい!」と
大きな花生けや、抹茶茶碗ばかりに力を入れていたのだそうです。
私も、魯山人の作品を、いろいろ目にしてきました。
これだけ世間の人が珍重するものなのだから、素晴らしいものなのだろう
・・と心を込めて、拝見してきたわけですが、
確かに、素晴らしい!と思うものは、当然あるものの、
一方で、多くのものに対して「そうかな? これがいいものなのかな?」
と疑問に思っても、いたものでした。
「こんなんがいいわけ?」 と口にすると、芸術を解さないやつ・・
と思われそうだから、感心したふりしてきましたが、
「なんで、これが何百万もするのかね?」とも、実はこっそり思っていた。
今回、安心しました。
あの、白洲正子さんが、クソミソにけなしているんですものね。
青山二郎氏も 「魯山人の、特に書には、魂がない」と
言ってらしたそうです。なるほど、なるほど。
正子女史、あの魯山人を、殴ったことがあるのだそうですよ。
パーティーの趣向で、彼女の着物に、魯山人が書を認める・・
というのをやって、長じゅばん姿で書き終えるのを待っている
正子さんを横に、魯山人は、グズグズごねだしたんだそうです。
そういう態度に腹を立て、一発、ガーン!・・と。
魯山人・作品の評価はともかく、
白洲正子さんが昭和の女傑だったことだけは、間違いありません。