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テーマ:イタリアぶらぶら(151)
カテゴリ:シチリア旅行 2016.3月~4月
前回のイタリアは、2014年でした。
(去年は2度ともスペインにしたから。) で、今回驚いたことがありました。 2014年、つまり2年前には経験しなかったこと。 イタリアのローマに着いた翌日の朝、 テルミニ駅に近い通りを歩いていたら、 遠足らしい中学生の集団のひとりから、 すれ違いざま 『ありがと』 と挨拶されました。 ん ![]() あちらも振り向いていて、 こちらに向けて、笑顔を見せていました。 その後も、毎日のように道端で 『ありがと』 と、声がかかりました。 今は、『コニチワ』 ではないんですね! 『アリガト ![]() パレルモでは、3才くらいの男の子が ぽよぽよと寄ってきて 『あなた、中国人なの?』 と、聞いてきました。 私はうっかり、ソノ・ジャポネと 答えてしまいました。 (ジャポネーゼと言うべきでしたが ![]() でも男の子は、私が中国人じゃなかったことを お母さんに報告しに、走って行きました。 お母さんは、なーんにも興味が無さそうだったけど。 幼児には、中国人と日本人の見分けは無理です。 そして、たいていのイタリア人は、 日本や日本人について、特別な関心はありません。 その子に中国人はかと聞かれた時、 私は噴水の裸体に見入っていました。 わあ、大胆すぎるわ~~ ![]() みーんな、まっぱだか ![]() ![]() ![]() 去年のバルセロナ。 カサ・バトリョの前で、 可愛いお嬢さんたち3人が笑顔で近寄ってきて 聞き取れない言葉を発してきました。 私、「 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() すかさず、彼女、言葉を英語に切り替えてくれました。 彼女の最初の言葉は、ハングルでした。 「あ~、違うのよ。 私は日本人なのよ~。」 と答えた私に、優しい彼女は言いました。 『ひとり旅みたいだから、 アナタの写真を撮って差し上げようと思って…… 』 5年前のローマ、 “マダム” というには年を取りすぎている女性が つかつかと私の方に近寄ってきて 力強く言い放ちました。 『あなた、日本人ね!! うんうん、すぐわかるわよ。 日本人と中国人は、見ただけで違いがわかる。 立ち居振舞いがまったく~違うの。 中国人は、品が悪いのよ。 服装も、日本人とは違うしねえ~。』 はあ、そうですか。 と答えたら、オバサマは笑顔と共に さ・さ・さっと去って行きました。 ひどく満足そうでした。 でも、プラハ郊外のいなか町では、娘と私に向かって 『ニーハオ』 という声がかかりましたね。 日本人も中国人も、同じだと思っていそうでした。 私たちも、スウェーデン人とノルウェー人、 デンマーク人の区別はつきません。 もっというなら、ベルギー人とオーストリア人の区別も。 イタリア人だとばかり思って話していたアッシジの画廊のオーナーは クルド人(イラク生まれ)だったし、 見た目じゃ、わからん! クルド人でも、 2つの大学(バクダット&フィレンツェ)を出ている場合もある。 という事実には驚きました。 エリートの家庭もあるのです。 (考えてみれば当たり前) 山岳地帯で、武器を片手に闘っている人ばかりではないのです。 パレルモで聞いた、印象的な日本語を、 ここで、もうひとつ。 熱も下がりそろそろ外出も苦ではなくなった頃、 新市街の入り口にある 気になるレストランに出かけてみることにしました。 ホテルから、さほど遠くないのですが 病み上がりの体でそのレストランを探すのは、 少し大変でした。 HPに出ていたランチ開始時間より 30分ばかり早くお店に到着しました。 ? ? ? なぜか、すでに食事をしている人たちが、たくさん。 私の姿に気づいて ドアのところまで出てきてくれた なかなかハンサムなカメリエーレ。 『今日のランチは、もういっぱいなんだよ。』 と、言いました。 1時間後でもいいのですが、と粘ってみましたが、 ランチはすべて満席との返事。 今日は夜の営業はないし、明日は定休日と話が続き 私がそのレストランで食事できる可能性は まさかのゼロ! 満席でダメとわかると、余計に ガックリくるものです。 軽くうなだれていた私にかけられた次のひと言は 日本語でした。 それは、とてもチャーミングな笑顔とともに 朗らかに発声されました。 『ごめんね。またね ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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