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テーマ:法律(493)
カテゴリ:刑事訴訟法
刑事訴訟法は何故あるのでしょう。 それは基本的人権の尊重と真実の発見にあると言われています。 「基本的人権」とは中学の公民などでやった憲法にでてくる 「基本的人権」です。生命や身体・財産などです。 「真実の発見」とは犯罪が誰によって行われたかを究明し、 犯人を捕まえることです。 別に大したことを言っているわけではないようにも思えます。 しかし、結構これが難題なのです。 例えば、清水君がある事件の犯人ではないかということで 警察に捕まりました。 そこで、予め呼んでおいた目撃者二人(三島さんと草薙氏) に清水君が犯人かどうか見てもらうことにしました。 三島さんに清水君の顔を見てもらうと、 「間違いなくあの人が犯人です」と三島さんは言いました。 次に草薙氏に見てもらうと、 「間違いなくあの人は犯人ではありません。 犯人はもっと違う顔をしていました」と言ったとします。 もちろん、清水君・三島さん・草薙氏はここでは 初対面であり、三島さんも草薙氏もウソをついておらず、 どちらかが誤解しているに過ぎないと言うことにしてください。 つまり、清水君が犯人である確率は50%という事になります。 ここで、基本的人権を重視すると「50%程度の確率では 清水君が犯人とは断定できない。ということは清水君が犯人でない 可能性がある。もし清水君が犯人でなかった場合、 身柄を拘束するのは基本的人権を侵す事になる。 だから清水君を釈放するしかない」と言う結論になります。 しかし、真実発見を重視すると「一応目撃者がいる以上 清水君が犯人である可能性は高い。もし清水君が 本当に真犯人だった場合、ここで釈放したら 真実は永久に闇の中だ」となって清水君を処罰してしまおうという 結論になります。 さて、みなさんならどうしますか? どちらにも分があるように聞こえますか? いえいえ、答は出ています。 昨日、「冤罪は社会生活に影響を及ぼすから、できる限り排除すべき」と申し上げました。つまり、冤罪が発生しにくい方を重視するのです。 よって、基本的人権を重視しすべきだと言うことになります。 つまり、刑事訴訟法は基本的人権の尊重と真実の発見のために 制定されたが、基本的人権の尊重と真実の発見が対立する場合には 基本的人権のほうを重視するべきである、ということがいえるでしょう。 一人の冤罪者を生み出すくらいなら、1人真犯人を取り逃がすほうがいいと考えているのです。 刑事訴訟法はこういう理念で書かれていますから、 昨今の刑事裁判はおかしいと考えている方は 法改正を視野に入れてみてください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年09月02日 00時02分05秒
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