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2017.08.19
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テーマ:海外旅行(7520)
カテゴリ:古代ギリシア
会社の夏季休暇を利用し、8泊10日のギリシア旅行に行ってきました!去年、大学の卒業旅行としてギリシア渡航した際は「社会人になってからはそう簡単には行けないよなぁ・・・」と絶望していましたが、社会人2年目で無事ギリシアの地を踏むことができました。とはいえ、多様な職に就く友人たちと予定を合わすのは至難の業でしたので、一人旅としての決行です。
今回で3回目となるギリシア旅行ですが、古代の遺跡を求めてアテネ、ミコノス島、テッサロニキを巡りました!前回の旅行では、ドーハで飛行機の乗り継ぎをミスるいう悲劇が起きてしまいましたが、今回はモスクワ経由に変更したおかげかそのようなこともなく、無事計画通りに到着しました。笑

■アテネ(8/10-8/12)
アテネは3回目の来訪になりますが、まだまだ見所は盛り沢山でした!観光客でごった返すアクロポリスやオリュンピア=ゼウス神殿を巡礼してからは、「プニュクスの丘」「ケラメイコス遺跡」へ行ってきました。これらの遺跡はアテネでもあまり有名ではなく、アクロポリスのチケット購入窓口が長蛇の列を成していたのに対し、殆ど人がいませんでしたが、その歴史的意義はどちらも極めて重要なものです
特に、プニュクスの丘は古典民主政が地球上初めて完成した場所であり、エピアルテスの改革による民衆の政治的権限拡張以後、テミストクレス、ペリクレス、アルキビアデスなど世界史教科書レベルの名立たる偉人たちが演説・舌戦を繰り広げた場所でもあります。ヘレニズム時代に入ると、収容人数の都合から民主政の舞台はアクロポリスにあるディオニュソス劇場へと移行してしまいますが、古代アテネの全盛期を支えたのはまさしくプニュクスの丘であり、その弁論をゼウスの雷霆に例えられるほどの名政治家ペリクレスが活躍したのもここだったのです。


現在プニュクスの丘に残る遺構は紀元前4世紀後半に改装されたものです。ペリクレスが登った演壇はもはや跡形もありませんが、それでもここで歴史を左右する民会が開かれていたと思うと、心の底から興奮しました!


ケラメイコス遺跡にあるポンペイオン。ここに古代アテネ人の国民的大祭パンアテナイア祭に用いる様々な道具が収容されていました。


■ミコノス島(8/12-8/14)
青いエーゲ海に、浜辺に立ち並ぶ白い町。人々が憧れるエーゲ海の代名詞的存在がミコノス島です。その美しさはまさに海に浮かぶ白い宝石であり、あのサントリーニ島に比肩するほどの人気を誇っています。砂浜はバカンスを楽しむ観光客で溢れ、タウンから少し離れたところにはヌーディスト・ビーチもあり、まさに天国のような島です。


浜辺に隣接するセント・ニコラス教会。ミコノス島の浜辺は潮風が心地よく、真夏でも涼しく快適に過ごせます。

しかし、私はヌーディスト・ビーチで金髪美女の裸を鑑賞しようというドスケベ根性でこの島に上陸したわけでは決してありません!目的はただ一つ・・・ミコノス島から約4km離れたところにあるデロス島へ行くことです。島そのものが世界遺産に登録されている無人島デロスへと上陸するには、ミコノス島のポートから発着しているフェリーに乗る以外ありません。
ミコノス島は、この地でヘラクレスがアルキュオネウスという巨人を殺していたり(アルキュオネウスを巨岩で押し潰してそれがミコノス島になった or アルキュオネウスの死体が石化しミコノス島となった)、トロイア戦争でカッサンドラをレイプして女神アテナの怒りを買った小アイアスが流れ着いていたりと、わりとギリシア神話に出てくるんですが、本土に遺跡はほぼ無いので、私の心は終始デロス島へと飛んでいました。笑

デロス島と言えば、古代ギリシア好きなら誰もが一度は憧れる場所です。その重要性はデルポイやオリンピアに勝るとも劣りません!神話においては、古代で超人気な神様アポロン(アポロン神殿の遺構が地中海世界で一番数が多い)の誕生した地であり、世界史においては、古代アテネを盟主とするデロス同盟の金庫が置かれていた地でもあります。(まぁ、アテネの帝国主義政策の途上でその金庫はアクロポリスへと移管されてしまいましたがね笑)海上交易の中継地や奴隷貿易拠点として発展し、紀元前1世紀末頃に衰え始めるまで、イタリアを始めとする地中海各地からやって来た商人たちで賑わう国際的な島でした。


前6世紀に古代アテネの僭主ペイシストラトスによって建造されたポロス石のアポロン神殿跡。その内部に、デロス同盟の金庫が置かれていました。

デロス島を行き来するフェリーは日に3便しかありません。私は始発(と言っても午前10時)の便に乗って上陸し、15:00の便で帰ろうと思っていたんですが、金庫跡やキュントス山(ホメロスのアポロン讃歌によれば、アポロンの生まれた山。山頂からは紀元前3千年紀の住居跡とトロイ式土器が発掘されており、その由緒は極めて古い)に興奮しすぎて長居しすぎた結果、15:00便を乗り過ごし、結局最終便出発の19:30まで島に居続けていました。笑
デロス島は遺跡の宝庫であり、海や山も相まって、古代ギリシア好きにとってはまさにディズニーシーのようなもの!休憩のためのカフェ(Free Wi-Fi完備!)も設置されており、9時間近くデロス島を隅々まで散策していましたが、全く苦ではありませんでした!遺跡とエーゲ海を眺めながら飲んだヘレニックオレンジの生搾り果汁ジュースは今でも忘れられません。あれほどに美味いジュースを未だかつて飲んだことがない・・・!まさにネクタル(神々の飲む不老不死のお酒)のよう・・・!


キュントス山山頂からの眺め。右端に埋め立てられた聖なる湖が僅かに見えますが、神話ではこの湖の水を女神レト(アポロンの母)のお産に使いました。

ただ、遺跡を歩く度に大小様々なトカゲが岩場から這い出てきますので、爬虫類が苦手な方は少し注意が必要ですね。棘が強烈なアザミも群生してますので、うっかりしていると皮膚を切ってしまうこともあるかもしれません。キュントス山登山中、山道から外れたところにあるヘラクレスの神域に行こうとした際、不注意からアザミの茂みに足を突っ込み、チクチク地獄になりました。笑


■テッサロニキ(8/14-8/18)
ギリシア第二の都市テッサロニキは、アンティパトロス朝マケドニアの初代国王カッサンドロスが、自らの妻テッサロニケの名前を取って建設した都市です。今でこそギリシア北部の首都となってますが、アルケラオス王の遷都からアンティゴノス朝に至るまで、マケドニアはテッサロニキではなくペラを首都としていました。テッサロニキへ遷都したのはローマの命令であり、アンティゴノス朝が滅ぼされ、マケドニアがローマの支配下に落ちた後の出来事でした。

今まではギリシア南部のポリス系遺跡に偏っていましたが、ここテッサロニキに足を踏み入れることで、遂にギリシア北部の王国系遺跡も射程圏内に入りました!ギリシア北部はあのアレクサンドロス大王を生んだ地(彼はペラの宮廷で産声を上げました)として名高く、エジプトからインドに至るまでの広大な領域を支配したヘレニズム諸王国発祥の地とも言えます。
テッサロニキ到着直後に道に迷い、ホテルが見付からないという壁にぶち当たるも、ポテチを食べながら散歩していた親切なおばちゃんのおかげで何とか事なきを得えました。笑
市内観光では、考古学博物館やビザンティン様式建造物(ホワイトタワー、アギオス・ディミトリオス教会、ロトンダ、城壁など)を巡り、非常に楽しむことができました。しかし、テッサロニキ滞在の真の目的は、市内から離れた遺跡群・・・ディオン、ペラ、ヴェルギナです。さすがにこれらの遺跡は徒歩ではいけないので、ディオンはチャータータクシーで、ペラとヴェルギナは現地のバスツアーで行ってきました!


叢雲を頂くオリュンポス山と、ディオン遺跡内にあるゼウス・オリュンピオスの神域。左の岩場がかつては祭壇として機能しており、ここで牛などの動物がゼウスに捧げられていました。

ディオンはオリュンポス山の麓にあるゼウスの神域で、ポリス文化受容に熱心だったアルケラオス王の号令により、ペロポネソス半島オリンピアの古代オリンピックを模倣した「ディオンのオリンピック」がここで開催されました。強大なる神々の住まう最高峰オリュンポス山と、詩歌女神ムーサイの聖地ピエリア山脈が背景に聳え立っているので、こと景観に関しては本家オリンピックよりも壮大だったでしょう。
ディオン神域には、アレクサンドロス大王の軌跡が深く刻み込まれています。なぜなら、アレクサンドロス大王は東方遠征出陣前に、無数の豪華なテントを張ってディオンに宿営して、劇場で音楽競技祭を開催し、その後にゼウス・オリュンピオスの神域で壮大な犠牲式を挙げたんですから!
彼が立っていたかもしれない場所に立っているなんて、その喜びたるや天をも貫かんとする勢いですよ!ディオンの劇場に関しては、ペラに招かれた悲劇作家エウリピデスが「バッコスの信女」「アルケラオス」を上演した場所でもありますし、感動が二乗も三乗もされました!!ここでエウリピデス悲劇を是非鑑賞してみたいものです!


ディオンの劇場は、自然の傾斜を利用する通常の劇場と異なり、人工的な盛り土で作られています。

バスツアーで行ったペラヴェルギナ(ペラ遷都前のマケドニア首都アイガイの別名)は、どちらもすこぶる感動したことを覚えています。ペラはもはや貴族の邸宅跡やアゴラぐらいしか残っていませんでしたが、ここが世界を制圧したマケドニアの首都だったという事実は変わりません。バスガイドが英語で「ペラ遺跡はあんまり見所ないよ」とか言ってましたが、見所とかそういう問題じゃないんですよ!例え何もない荒れ地であったとしても、そこに「在った」という事実が重要なんです!むしろ何もない方が想像力を掻き立てられてなおさら没入できるってもんですよ!!!
・・・ペラ遺跡に没入しすぎてバスに遅れそうになり、灼熱の太陽の下でペラ遺跡を全力疾走する羽目になりました。笑


ペラ遺跡に広がる貴族邸のモザイクと、邸宅中庭を取り囲むイオニア式の列柱。モザイクはおそらくシュンポシオン(饗宴)を開く宴会場の床として使われていたと思われます。

ペラの次に訪れたヴェルギナは、劇場跡と王宮跡が修復中で立ち入り禁止になっていることを告げられて愕然としましたが(ヴェルギナの劇場は、アレクサンドロス大王の父親ピリッポス2世が暗殺された歴史的名所です。見たかった・・・その場に立ちたかった・・・orz)、第二墳墓に眠るピリッポス2世のラルナクス(骨箱)や甲冑を見た瞬間に、その絶望感は消し飛びました。カイロネイアの戦いでアテネ=テーバイ連合軍を破り、スパルタを除くギリシアをコリントス同盟によって束ねたあのピリッポス2世が、すぐ近くに・・・!内部は撮影禁止だったので写真は撮れませんでしたが、その感動は言語に絶するもので、ラルナクスの前でずっと立ち尽くしていました。
・・・とはいえ、第二墳墓に眠る人物がピリッポス2世だというのは、賛否の分かれるところで、「ピリッポス2世ではなく、ピリッポス3世(アッリダイオスのこと。大王の弟で、知的障害のため名目上の王に過ぎなかった)ではないか」という説も根強く支持されています。ギリシア政府の公式見解はあくまでも「ピリッポス2世の墳墓」であり、墳墓発掘者アンズロニコスも2世だと断定してますが、墳墓の諸々の特徴から(妻が埋葬されている前室が異例に大きい、前室に武具がある、など)被葬者はピリッポス3世だと断ずる研究者も少なくありません。こればっかりは未だに結論が付いていませんし、やっぱり傀儡の王ピリッポス3世よりは、マケドニアを地中海世界随一の強国に押し上げたピリッポス2世の方が感動が大きくなるので、ピリッポス2世だったということにしておきましょう。笑



こうして楽しい時間はあっと言う間に過ぎ去り、気付けば帰国の日に。18日にギリシアを発ち、モスクワと機中泊を経て、19日午前に日本に到着しました。
この10日間は、これ以上ないほどのリフレッシュ期間となりました。仕事でのストレスなんて一瞬で消し飛び、後はひたすら古代へと想いを馳せる、素晴らしく充実した日々でした。午前8時頃には外に出て、夜9時ぐらいまで観光する(夏のギリシアは夜9時まで明るい)という、もう1年分歩いたんじゃないかというくらい歩きっぱなしで、非常に健康的でもありました!笑
一人旅でしたが、Free Wi-Fiスポットに立ち寄っては友人や彼女と連絡を取り合っていたのもあって、寂しさはあまり感じませんでした。さすがにミコノス島の砂浜で凄まじいほどにイチャイチャするカップルを見た時は「彼女と来たいな」なんて思いましたがね。笑

さて、3回目のギリシア旅行も終わりましたが、まだまだギリシア遺跡は行き足りないですね。今回で念願のデロス島やマケドニア遺跡などを巡ることができましたが、テーバイやスパルタ、コリントスといった古典期強国の遺跡はまだ行けてないですし、世界遺産で有名なサモス島、バッサイも観光できていません。ミコノス島と同等の美しさを誇るサントリーニ島も何だかんだで行ったことがありません。・・・これは早くも4回目のギリシア旅行を計画せねば・・・!!笑
もうすぐ夏季休暇も終わり、仕事に戻らねばなりませんが、ギリシアからのお土産を眺めつつ、次なる旅に向けて頑張りたいと思います!





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Last updated  2017.08.20 20:57:37
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