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二宮先生語録
【二六】我が道は天子の任なり。幕府の任なり。諸侯の任なり。固より卑官小吏の任ずる所に非ず。何ぞや。国を興し民を安んじ天下を経営するの道なればなり。然りと雖も人人も亦自ら任じて行はざるを得ざる者有り。家主の家眷に於る、圃人の菜園に於る、馬夫の畜馬に於る、是れなり。之を要するに其の主司為る者にして、而る後能く以て行うべし。 <わが道> 二宮翁夜話巻の1 【1】 尊徳先生はおっしゃった。 誠の道は、学ばないでも自ずから知り、習わないで自ずから覚え、書籍もなく、記録もなく、師匠もなく、そして人々が自得していて忘れない、これが誠の道の本体である。 のどが渇いて飲み、おなかがすいて食べ、疲れて眠り、目が覚めて起きる、みなこの類いである。 古歌に「水鳥(みずとり)のゆくもかへるも跡たえてされども道は忘れざりけり」というようなものだ。 記録もなく、書籍もなく、学ばず習わないで、明らかである道でなければ誠の道ではない。 私の教えは書籍を尊ばない。 だから天地をもつて経文とする。 私の歌に 「音(おと)もなく香(か)もなく常に天地(あめつち)は書かざる経をくりかへしつゝ」とよんでいる。 このように日々繰返し繰返して、しめされている天地の経文に、誠の道は明らかである。 このような尊い天地の経文をほかにして、書籍の上に道を求める学者連中の論説は取らない。 よくよく目を開いて、天地の経文を拝見し、これを誠にするの道を尋ねるべきである。 世界の横の平は水面を至れりとする。 竪(たて)の直は、垂針(さげぶり)を至れりとする。 およそ、このように万古に動かない物があるからこそ、地球の測量もできるのだ。 これをほかにして測量の術があろうか。 暦道の表を立て、測量する方法、 算術の九々のようなものも、みな自然の法則であって万古不易の物である。 この物によってこそ、天文も考えることができ、暦法をも計算することができる。 この物をほかにすればどのような智者であっても、 術を施すに方法はないであろう。 私の道もまたそのとおりだ。 天ものいはず、しかして、四時(しいじ)行われ百物(ひゃくぶつ)成(な)るところの、 不書(ふしよ)の経文(きやうもん)、不言(ふげん)の教戒(きょうかい)、 すなわち米を蒔けば米がはえ、麦を蒔けば麦が実るような、万古不易の道理による、誠の道に基いて、これを誠にする勤めをなすべきである。 二宮翁夜話巻の2 【21】弘化元年8月、幕府より日光神領の荒地を復興するよう申しつける見込みの趣意書を、調査して仕法書を差し出すよう、尊徳先生に命じられた。 私(福住正兄)の兄の大沢勇助は江戸に出て、お悦びを尊徳先生に申しあげた。 私は先生に随っていた。 尊徳先生はおっしゃった、 「私の本願は、人々の心の田の荒蕪(こうぶ)を開拓して、天から授った善種である、仁義礼智を培養して、善種を收獲し、また蒔返し蒔返しして、国家に善種を蒔き弘むることにある。 それであるのにこのたびの命令は、土地の荒蕪の開拓であるから、私の本願と違っているのはあなたの知るとこれではないか。 そうであるのに、この命があるのを喜ぶのはどうういうことか。 本意に背いた命令ですが、命令であればやむをえません。 及ばずながら、わたくしもお手伝いいたしましょうと言うのなら悦びもしよう。 そうでなければ悦ばない。 私の道は、人々の心の荒蕪を開くことを本意とする。 心の荒蕪一人開ける時は、土地の荒蕪は何万町あっても憂えるにたりないのだ。 あなたの村のように、あなたの兄一人の心の開拓ができただけで、一村が速かに一新した。 大学に、「明徳を明らかにするにあり、民を新たにするにあり、至善に止まるにあり」という。 明徳を明かにするとは、心を開拓することをいう。 あなたの兄の明徳が、少しばかり明らかになるや、すぐに一村の人民が新(あら)たになったではないか。 「徳の流行(りゅうこう)するのは、置郵(ちゆう)して命を伝えるより速やかである」(「孟子」公孫丑・上:徳が人々に伝わっていくのは、命令が飛脚で伝わっていくよりも速い。)というのはこのことである。 帰国したら早く至善に止まるの法を立てて父祖の恩に報じなさい、これが専務する事である。」 二宮翁夜話残篇 【24】尊徳先生がおっしゃった。 私の生涯の事業は、すべて荒地を開くことを勤めとする。 田畑が荒れたり、また負債が多いのは、ともにこれは国家の生産の地でもあり、その人のために荒地でもある。 また廃地や税金と村費だけの収穫があつて、利益のない田畑や、また身体が強壮にもかかわらず怠惰に日を送る者は、ともに自他のために荒地である。 資産があり金力がありながら国家のためになることをなさないで、いたずらに贅沢にふけり、財宝を費す者がいる、これは世の大きな荒地である。 また智慧もあり才能もあって遊芸に生涯を送る者がある、これも世の中の荒地である。 これらの数種の荒地はその原因は心田が荒地となっていることに原因があるから、 私の道はまず心田の荒地を開くことをを先にしなければならない。 心田の荒地を開いて後は田畑の荒地に及んで、この数種の荒地を開いて熟田とするならば、国の富強はてのひらをめぐらすようであろう。 【二七】東谷に猿有り。果実熟せば、則ち採て之を食ひ、唯一日の飽を求むるのみ。果実尽れば則ち飢ゆ。西谷に猿有り。果実熟せば則ち多く採て少く之を食ふ。故に果実余り有て常に飽く。是れ貧富の由て分る所なり。人東谷を見て以て猿皆餒る者と為す。又西谷を見て以て猿皆飽者と為す。山頂に登り東西二谷を周覧するに非るよりは、焉んぞ能く其の飽餒を弁ずるを得ん。然り而して其の餒て苦む者を見れば、則ち施恵の念を生じ、其の飽て楽む者を見れば、則ち受恵の念を生ず。是れ自然の情なり。施す者君となり受る者臣と為る。是れ君臣の由て分る所なり。我が法は施恵を主とす。故に君主為る者の道なり。 【二八】我が道は恕を以て要と為す。乃ち貧民の心を恕し、或は口食農器を給し、或は馬舎糞舎を給す。国君より之を見ば、則ち悉く無用に似る。然れども貧民に於ては、則ち死生存亡の係る所、一日も缼くべからざる者なり。我が助貸の法、無息の金、債主に於て何の益ぞ。亦無用に似る。然れども貧民之を得れば、則ち其の一日も缺くべからざる者を全ふし、以て其の生を安んじ、以て其の家を保つ。其の有用為る、亦大ならずや。 【二九】或人我が道を謂ひ、迂遠と為し、吾を称し迂翁と為す。 吾笑て曰く、我が国万古に存して我が道万世易らず。万古に存するの国を以て、万世易らざるの道を行ふ。安んぞ之を自己一世に比し、以て迂遠と為すべしや。今や道の行はれざる、亦何ぞ憾ん。何となれば則ち天祖以来行はるゝ所の道にして、国を興し民を安んずる。此を舎て他術無ればなり。且つ夫れ人の世に在るや、六十を以て寿限と為し、専ら今日を営み今世を謀て、後世を慮る者有る莫し。然りと雖も、早飯を食へば小午と為り、中飯を炊けば下午と為り、今日忽ち明日と為り、今年忽ち明年と為り、父祖の世忽ち子孫の世と為り、百歳も亦一瞬間のみ。我が開墾法の如き、一両金を以て荒田一段を墾き、産粟一石、其の半を食ひ其の半を譲り、墾闢循環息まざれば、則ち一周度の積、墾田二十四億五千四十八万二千二百五十三町に至る。行はれざれば則ち止む。苟くも之を行はば、則ち豈之を僅僅たる一世に比し、以て迂遠と為すべけんや。 我が日夕説く所、則ち天下国家を治るの道なり。天下国家を憂るの心無き者、之を聞けば、則ち必ず苦み、一言を聞く毎に負担を加ふる如く然り。天下国家を憂る者之を聞けば、則ち必ず喜び、一言を聞く毎に、負担を卸すが如く然り。吁是れ大人に説くべくして、小人に説くべからざるなり。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.01.02 15:37:25
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