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『二宮先生語録』【351】~【355】 『二宮先生語録』の栃木県内所蔵館 11館 芳賀町1件 二宮先生語録 上三川町1件 報徳記を読む 第5集 真岡市7件 二宮先生語録 齋藤?行著 読み下し全ルビ原文・現代語訳 足利市1件 二宮先生語録 読み下し全ルビ原文・現代語訳 宇都宮大学2件 二宮先生語録 : 読み下し全ルビ原文・現代語訳 報徳記を読む 市貝町2件 二宮先生語録 齊藤髙行著 読み下ろし全ルビ原文・現代語訳 日光市8件 報徳記を読む 二宮先生語録 齋藤髙行著 読み下ろし全ルビ原文・現代語訳 高根沢町2件 報徳記を読む 第5集-読み下し全ルビ原文・現代語訳 栃木市7件 二宮先生語録 栃木県立図書館 二宮先生語録 那須烏山市1件 二宮先生語録 斎藤高幸著 第5集 読み下ろし全ルビ原文・現代語訳 💛ツイッターに「二宮先生語録」をシェアして、当初はViewsもさほど高くなかったが、 「二宮先生語録」の各地域の所蔵状況を横断検索で調べて載せると、500Views近いものが出始めた。「二宮先生語録」は、「報徳の精神」が広まりますようにとの願いを込めて図書館に寄贈された、後の世代への贈り物である。 ・北海道 北海道の図書館では「二宮先生語録」が道立図書館、札幌市、恵庭市、富良野市、根室市、江別市、旭川市、帯広市、佐呂間町、八雲町、厚岸町、別海町、比布町の13図書館で蔵書となっている。北海道は報徳有縁の地。「報徳の精神」が広まりますようにいのる 306 Views ・青森県 「二宮先生語録」は青森で県立図書館、八戸市、十和田市、藤崎町、五戸町で所蔵されている。映画「二宮金次郎」の五十嵐匠監督は藤崎町出身。青森県は報徳有縁の地になった^_^ 194 Views ・岩手県 「二宮先生語録」は、岩手県では岩手県立図書館のほか花巻市、久慈市、遠野市、奥州市、金ケ崎町の図書館に蔵書となっている。花巻東高は言わずとしれた大谷選手の母校だ。同校は平成18年創立50年記念に二宮金次郎像を建立した。報徳の精神が脈打っているのである^_^ 343 Views ・宮城県・福島県 『二宮先生語録』は宮城県は名取市、加美町図書館で蔵書となる。福島県は県立図書館、相馬市。南相馬市、会津若松市、須賀川市、白河市、郡山市、三春町、新地町の9館で蔵書となる。相馬仕法は尊徳高弟富田高慶が指導した。本会でも相馬見学会を行った。福島県は報徳縁の地である。 485 Views ・栃木県 ・茨城県 『二宮先生語録』が茨城県では県立図書館、水戸市、桜川市、ひたちなか市、筑西市、土浦市、笠間市、守谷市、八千代町の9図書館で蔵書となっている。尊徳は茨城県内の多くの地域で報徳仕法を行った。報徳有縁の地である。166 Views 【351】 《訳》小田原領内の曾比村(そびむら)の前の名主は心がねじまがった悪人で、村民をむごくとりあつかった。だから村中、貧乏で生活に困った。これはちょうど「桀・紂が天下をひきいるに暴をもってして民これに従う」(「大学」)じゃ。後の名主は善良で私の報徳の仕法を行い、村の債務六千両の返済を終了し、村中、豊かでその生活を楽しんだ。これはちょうど「堯・舜が天下をひきいるに仁をもってして民これに従う」じゃ。聖王と名主とその名は天と地のちがいはあるが、その理は一つじゃ。ただその名が異なるだけで、私の法は聖人の道であるということを知らない。そもそも私の法は、聖人の教えの実行にほかならない。聖人の教えを読んでも、それを実行しなければ、それを知ることはできない。たとえば無駄に夏季の字を読めても、柿の実を食べず、だからその味を知ることができない。また隣の家の宴会に招かれても、行かなければその酒や料理の味を知ることができないようなものじゃ。曾比村の名主は、報徳の仕法を実行してその味を知るものじゃ。私は若い頃に箱根山を平らかにして、旅する者を安らかにしたいと思った。今、私は報徳の仕法を創設して、人々を助け救っている。その功績はどうして箱根山の難所を平らかにする比であろうか。その味わいはどうして旅する者を安らかにする比であろうか。 【352】 《訳》私の大数現量鏡は、その図はみな同じで、これに数字を付するから、その差は大きくなるが、もし数字を除くならば一から大数に至り、相違がなくなる。仏教でいう、「本来東西なし、いずこに南北があろう。迷うがゆえに三界(欲界・色界・無色界)は城、悟るがゆえに十方は空」というのと同じじゃ。 【353】 《訳》仏教の経典にいう。「菩提心を発し、涅槃の岸に赴く」と。ここに大河があるとする。川の東に生まれる者は、川の東に住み、川の西に生まれる者は川の西に住む。川の東に住む者が東から西に行こうと思い、川の西に住む者が西から東に行こうと思う、これを菩提心を発するという。川の西に行こうと思って、東岸を離れなければ、彼岸に至ることはない。死生の理はこのようじゃ。いやしくもこの理を悟る、これを涅槃の岸におもむくというのじゃ。 【354】 《訳》陰陽があいまって行われるのが、天地の常道じゃ。だから万物は陰陽によらないものはいない。人が歩くときに両足を交代に出す。しゃくとり虫の進むときは屈伸しながら進む。蛇が進むときはくねり曲がる。むしろや細かな織物でも、また表裏交代に編む。万物で陰陽を交代しないものがあろうか。 【355】 《訳》孔子が私の報徳現量鏡を見れば、必ず嘆称するであろう。なぜならば五銭、十銭のわずかな金銭でも、「飲食をうすくし、衣服を粗末にし、宮殿を壊れたままにする」に出て、困窮した民を救い助け、荒地を開墾し、道や橋を修理し、家屋を造営する資本となるからじゃ。「あに、間然(欠点をついてあれこれ批判・非難)するところがあろうか」。 鈴木藤三郎が今市の報徳二宮神社に報徳全書を奉納した時の『願文』 願 文 報徳社徒不肖藤三郎誠恐誠惶謹で二宮尊徳先生の神霊に白す。 恭く惟れば先生畢生唱道し給へる報徳の教義は洋の東西を論ぜず人種宗教の如何を問はず古往今来幾千万歳を経るも凡そ世界に生存する人類に於て貴賎貧富男女老幼の別なく允に克く遵守せざる可からざる要道にして若し之れ無くば人道廃頽して民衆安息すること能はざるなり。先生の世に在すや憂国の至誠外に溢れ熱血の注ぐところ感奮興起せざる者なく済世恤民の良法諸州に亙って其効実に顕著なり。而して其実践躬行の跡は歴々として先生の遺書に存し其書殆ど万巻を以て算す。然りと雖も之を知る者多からず。知らざれば行うこと能はず。行はざれば世を済ひ民を理すること能はず。是猶名玉を懐中に蔵するが如し。豈痛惜せざるべけむや。是を以て令孫尊親先生の允許を得て之を謄写せしめ全部九千巻を得たり。之を二千五百冊と為し文庫一宇に収め併せて之を神社に奉納し衆庶の熱覧研究に備ふ。将来幸に有志の士之を繙き明晰なる識見を以て先生の教旨を解釈し熱誠以て之を世に拡張し忍耐以て実践して息まざらば民風頓に興り富強期して埃つべし。仰ぎ冀くば先生が神霊の冥護に依り人類必至の要道たる報徳教義の広く天下に普及し真正なる文明の実を見るを得んことを。不肖藤三郎誠恐頓首 |