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![]() 守田治兵衛商店(宝丹・立効丸)の歴史 延宝8年(1680年)に、摂津の国(大阪府)から江戸(東京)に出て薬業を始めました。以来、15代が相継ぎ今日に至る東京最古の薬舗であります。 宝丹の起源は、江戸後期文久年間(1861~1864年)のオランダ人名医、ボードウィン博士の処方の方剤であります。当社は、煉炭精製の手法を苦心の末に発明し、種々の疫病に実験した結果、驚くべき効果を認めたため、「宝丹」と名付けて発売することにしました。 ![]() 明治3年(1890年)、新政府による売薬取締規制の公布時、宝丹は9代目の治兵衛が早速申請し、官許第1号公認薬として許可されました。当時のコレラなどの諸種の悪疫を宝丹が予防し、家庭や外出に救急の常備薬として賞用されるようになり、明治6年(1893年)には中国の上海、香港、広東および遠くは米国などへの輸出が行われていました。その後、西南の役、日清、日露戦争、青島戦役などの必携薬としても重用されました。「宝丹」は、現在に至るまで更なる改良を続け、効力を高めてきております。 なお「宝丹」は6代目三遊亭圓生の演目「なめる」、夏目漱石の「吾輩は猫である」、森鴎外の「雁」などに登場します。 また「立効丸」は、たん・せき・ぜんそくを止める薬として、「宝丹」同様、現在も多くのお客様から支持されています。 💛「宝丹翁の家法」という文章が明治25年の雑誌に載っていて、これが素晴らしい。 ◎美談 宝丹翁の家宝 兵庫県有功員 三枝角太郎 守田宝丹翁の美談は前号にも報ぜしが、又翁は家法として左の十言を家人に教えて遵守せしむと。その富を致せるもの偶然にあらざるを知るべし。 〇一 仇は恩を以て報ゆること 〇二 人の悪しきは先ず己れの悪しきと思え 〇三 禍福は皆我が行いより来ると知るべし 〇四 後悔あるときは是に代る善を行うべし 〇五 艱難より来る所は安楽にあらざれば甘んずる事なかれ 〇六 己を正直にして人を疑うなかれ 〇七 人に欺かれるも人を欺くなかれ 〇八 心は活発にして常に鬱となる事なかれ 〇九 誠実勉強百事怖れるなかれ 〇十 全家は和合を以て富貴の基となす お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.04.01 22:00:31
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