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――<木谷ポルソッタ倶楽部>――――――――――――――――――――
■ルードウィヒ「神々の黄昏」■ ――――――――――――――――――――――――<2007/3/27>――― 先日の日曜日、「大分映像センター」に出かけた。 週末の映画鑑賞会に参加させてもらうためだ。 春なのに暗い部屋で映画を見る、これもまた良しだ。 まずトキハの「岩手県の観光と物産展」に出かけた。 ふふふふ、盛岡冷麺を喰らふためだ。 スープ、麺ともにおいしかった。満足だ。 今回の映画は、ルードウィヒ「神々の黄昏」という映画だ。 この映画、私は見ていなかった。 監督のルキノ・ヴィスコンティという名前だけは聞いていた。 映画ファンの間では有名な監督らしい。 「ベニスに死す」だけは見たことはある。 哀しいかな凡人の私にはその良さはわからなかった。 確かに映像は美しかった。 そして、今回のルードウィヒ「神々の黄昏」という映画だ。 四時間を超える長さにまず驚いた。 午後一時に始まり、終わるのは午後五時近くという。 ギョッ、エッ、ゲーエッ、なんという映画なんだろう。 センターに行く。いつもなら観衆は五人程度だ。 それが十人を超えている。女性が多い。 みなさん、映画をご存知なのだろう。 上映の前に、主催の産婦人科の先生がおっしゃった。 「ルードウィヒは国民の税金を使って、城やワグナーなどに浪費した。 でもそのノイシュバンシュタイン城は、現在、ドイツの観光の核となって 世界中から大勢の観光客を呼び込み、ドイツ観光のためになっている。 ルードウィヒの遺産が今に役に立っているということですかな」 映画は、重く暗く展開していく。 ヴィスコンティ特有の映像美が随所に見られる。 ノイシュバンシュタイン城は撮影に協力をしたが 強引な撮影のためにあちらこちら傷つけられたそうだ。 時代は19世紀、若くしてバイエルンの国王となったルードウィヒが 国家から退位を強いられ四十歳で謎の死をとげるまでの 狂気ともいえる孤独な半生を描く。 三年前に行ったノイシュバンシュタイン城が思い浮かぶ。 個人旅行で行ったためかガイドの吉永さんという方が ルードウィヒの城ばかりを案内してくれた。 中谷さんと吉永さんが真剣に話していたことを思い出す。 ふたりはこの映画と共にワグナーの音楽談義に耽っていたのだろう。 映画を見終わった。拍手はチラホラだった。 そうだよな。拍手をする気が起こらなかった。 最後のキャスティングの文字が流れる中の重い曲が漂う。 う~ん、春の一日、なんという映画を見てしまったのだろう。 映像センターを出た。春の黄昏が迫っていた。 人はそれぞれの運命があり、それぞれの方法で 人生の黄昏を生きていくのだろう。 ああ、おいしいドイツビールが呑みたいなあ。 春が来た。桜が咲いた。うん、今年も、まずは生きていくことだ。 ―――――――――――――――――――――――― 人間のためでも、誰のためでもなく、 それ自身の存在のために自然が息づいている。 そのあたりまえのことを知ることが、いつも驚きだった。 (星野道夫著「長い旅の途上」より。 ――――――――――――――――――――――― ■発 信 者 :木 谷 文 弘 ■木谷ムラマチ計画研究室 *ルードウィヒ/神々の黄昏(イタリア・フランス・西ドイツ1972) =1864年、19歳の若さでバイエルン国王となったルードヴィヒ2世(ヘルムート・バーガー)は、作曲家ワグナー(トレヴァー・ハワード)に心酔し国費をつぎこむ。 彼は従姉妹のエリザベート(ロミー・シュナイダー)を恋するあまり、ソフィーとの婚約を破棄してしまう。 やがて、1866年にオーストリアとの戦いに敗れ、ワグナーにも裏切られたルードヴィヒは、失意のどん底に突き落とされ、突如謎の死を遂げる= ルードヴィヒ2世の生涯を描く壮大なドラマを、イタリアの名匠ルキノ・ヴィスコンティが描いた力作映画。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.02.12 20:01:40
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