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2024.02.18
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カテゴリ:鈴木藤三郎
十湖の盟友鈴木藤三郎講演会開催迫る: 俳人十湖讃歌
   真に惜むべき人 本会評議員家庭学校長 留岡幸助

  ◎二宮翁50年記念会と鈴木氏
 わたくしが鈴木氏と相知るに至ったのは、報徳の道を研究するに至ってから後の事です。ちょうど日露戦争後、戦後経営をいかにすべきかという問題が、官民有志の間に講究されつゝあった際、わたくしども同志の者は、これはどうしても道徳と経済の調和を図らなければならぬという事に一致し、さてその方法はいかにすべきかという事になったが、ちょうどその年は、報徳の教えを説いて、自らこれを実行し、その成績を挙げた二宮尊徳翁の50年忌辰(ねんきしん)に当るから、翁の記念祭をやろうという事になった。その時、これが協議にあずかったのは、内務省の有志を中心として、農商務、文部両省の有志、並びに大学教授や、民間有志等であった。この協議会は5,6回も開いたのであったが、事情あって思うように進行せぬ。かくて期日もだんだん迫って、わずかに1か月を余すに過ぎざるに至った。そこでわたくしはある日鈴木氏に電話をかけて話をしたところ、鈴木氏かは「どうかやってくれ」といわれるので、わたくしは費用の事をありていに答えたところ、「一体どのくらいかゝる予定です」と聞かれたから、わたくしは「多分5,600円もあったらできよう」と答えたところ、鈴木氏はカラカラと笑われて、「それでは自分が2,000円出そう」と言われた。これで金銭(かね)もできたので、遂に明治39年の11月に、上野の音楽学校に大記念祭を開き、各階級の名流を網羅して世間の注意を惹くに至ったのである。鈴木氏は、この2,000円の外にさらに1,000円を出して「報徳記」と「夜話」とを印刷して帙入(ちついり)として来会者に配付したのであった。

  ◎報徳会の大恩人
 鈴木氏が報徳の教えを鼓吹するために尽されたことは、まことに多大なるものがあった。1万円を投じて野州今市の二宮神社内に報徳文庫を作り、相馬の二宮家に在る翁の遺著9千余巻を浄写せしめて、これを保存し翁の遺書の散逸を防ぎ、兼ねて篤志なる研究者の参考に資したごときは、最も推賞すべき事であろうと信ずる。
 自分は日露戦争後、「報徳記」を英訳せしめたいという希望を持っておったが、これは2,500円くらいの経費を要する予定であった。鈴木氏もこの挙に賛成の意を表しておられたから、出金してくれといったならば、これも喜んで出されたことと思ったが、遂にそれには及ばずに沙汰止みとなったのであった。
 また我が報徳会にとっては、実に大恩人であった。報徳会の今日あるを得た事は、鈴木氏の努力に真にすくなからざるものあるを信ずることであった。

  ◎61歳より新生涯に入るの決心
 鈴木氏は、東海道の佐野駅より数町(ちょう)離れた所に、130町歩の農園を作っておられたので、その所在地たる駿東郡の実業団体の牛耳を取っておられた。明治41年頃と思うが、私は招かれて、同農園へ行き、一泊して、農場を視察し、一緒に汽車に乗って帰京したことがあった。その際、公共事業の事について話がはずんだが、鈴木氏の言われるのに、「私は61歳になったら、実業界から退いて、報徳を中心として公益のためにこの身を捧げたいと思っている。その時はこの佐野の農場を本陣として、同志の人々のためにあすこを開放して、自由に来泊を請い、あすこから天下に呼号して打って出たいと思っている。」と熱心に語られたことでした。
 その時言われるのに、「今仮にその際、自分の財産が300万円であると仮定すれば、200万円を事業と子孫のために残し、自分は100万円を持って佐野に引っ込みたいと思う。」とのことでした。そこで予はいうのに「君が61歳以後の生涯のほうが、真正(ほんとう)の価値(ねうち)ある生涯であろうと思う。米を多く取ろうと思えば、稲を十分に生育せしめなければならぬ。今日の君の事業は、即ち稲を作って、収穫の準備をしておらるゝのである」といったことでした。

  ◎慰問の夕
 その後鈴木氏の大失敗の噂を耳にしたので、早速予はこれを訪問せんがため、黄昏時(たそがれどき)から自転車を飛ばして、小名木川の家を訪問したのである。時は一昨年も将に暮れんとする12月23日の晩の事でした。その時番頭が出て来て、「実は非常な場合でして、誰にも会われないのですが、あなたがいらっしゃったことを伝えますと、非常に喜ばれてお会いするとのことでした」といった。それから部屋に通ると、すぐに鈴木氏が出て来られ、老母(おばあさん)や、養子や、番頭まで出て来て、いろいろ精神上の話が出た。その時、鈴木氏がいうのに「昨日130万円の責任を引き受けて会社を出てしまった。自分はこれまで10年ごとに大失敗をして、今回で3回目である。これを航海に譬えると前2回は難破したのであったが、まだ船に乗っておったからよかったが、今回は船まで取られたのであるから、大いに弱った」と嘆息しておられたのであります。そこで自分がいうのに「それは君にも似合わぬ弱音を聞くものかな。一体これまでいろいろ専売権を得た発明は誰がしたのか、君の頭脳(あたま)がしたのではないか、すれば頭脳が残っておる間は大丈夫でないか」と励ましたことであった。

   ◎失敗の原因について自ら語る
 鈴木氏は、最後の失敗の原因について語っていうには、小名木川では、300万円の資本で、好評を博したのであったが、岩下清周氏がやって来て、君一個の事業として小資本でやるよりは、他の資本をも集めて、一千万円の資本としてやったらよかろうと勧誘したのに、つい乗ったのが、そもそも失敗の原因であった。300万円にするのには、多くの年月を要して少しずつ基礎を固めつゝ進んで来たのであったが、一躍して700万円を増資してにわかの成長をしたのが自分の失敗であった。今度は実に地雷火にかゝったようなもので、粉微塵にされてしまった。これは青年実業家の好規鑑である。ただ遺憾に思うのは、鈴木は始めから山師であるという世評である。もし自分が真に山師であるならば、自分が最大の株主になるような事はしないはずであるといって、世評に対する不満の意を漏らしたのである。

  ◎紛々たる世評を意とすることなかれ
 そこで自分はいうのに、それは君の平生にも似合わぬ繰言である。天下の人が皆、君を奸物であるといっても、それは皆利害の関係から君を評するのである。しかし自分のごとき、君とは何ら利害の関係がない人間が、君と共に公益のために尽くさんがために交わっておるのである。それ故自分は、自分の経営する家庭学校の事業のためには君を煩わすことをしないのである。これは公益をもって交わろうとの考えがあるからである。自分が聞くに、
英国のクロムウエルは、多年奸雄と定(き)まっておった。ところがカーライルが出て、その雄勁なる筆を揮(ふる)って、クロムウエルは千古の大忠臣で、真に社稷(しゃしょく)のためにその身の毀誉を顧みなかったのであるといって、冤(えん)を雪(そそ)いだのである。君もこの際、泛々(へんへん)たる毀誉褒貶を眼中に置かず、前途の事を考えられた方がよかろうといって慰めたことであった。ちょうどその際クロムウエル伝の翻訳が出たから、翌日その書籍(ほん)を贈って置いたことである。
 その際自分は、ちょっと横を見ると、老母が私を拝んでおるのが眼に入ったが、その当夜の光景は真に厳粛な光景で今もなお眼前に見るごとき心地するのである。


  ◎精兵と傭兵
 私は鈴木氏が、300万円の会社をば、一躍千万円にして失敗を招くに至った事は、実に鈴木氏の言のごとく、余程有益な教訓を後の事業家に与えておると思う。300万円にするには、一歩一歩成長したのであって、事務員のごときも、皆鈴木式に訓練された精兵であった。然るに一躍千万円に膨張したため、十分に人選する事もできず、いわば傭兵である。故に会社の利益等のことは毫も考えず、自己の利を図るに至った。そこで不正の行為が発覚して、免職になるものができる。そういう人は、腹立ちまぎれに、有る事、無い事を吹聴した。「サッカリン」を入れるという事も、これらの人々が、世間へ向って荒立てたためである。

  ◎商略を誤る
 もう一つ鈴木氏が脆く倒れた原因は、従来は報徳の道に従って富を得、名を成したのであるが、今回の事業は報徳の道に反しておったからである。なぜなれば、鈴木の醤油が成功すれば、日本在来の醤油屋は倒れるか、少なくても弱くなる。即ちこれを敵に取っての事業であった。もしこれに反して、己れ立たんとすればまず人を立たせという風な実業であったならばよかったと思う。即ち専ら外国に売り弘めるというような方針をとっておったならば、かゝる脆き失敗は招かなかったかも知れぬと思う。鈴木氏が、今度は地雷火にかゝったので、全滅であるといったが、実にその風があった。

  ◎捲土重来の意気
 予が慰問した夜(よ)、鈴木氏の言われるのに、今から10年か15年かかったならば、また創痍を癒やすことができようと思う。目下、乾燥機器を発明したがその成績は大いによいから安心してくれとのことであった。その後わたくしは所用あって、新橋から地方へ行こうと思った際、偶然停車場で鈴木氏に邂逅した。その時、予は2等の切符を買っておったが、鈴木氏は3等の切符を持っておられた。そこでどうしたのであるかと聞いた所、二宮翁の分度法によって、回復するまでこれでやる決心であるということであった。予はこれを聞いて必ず氏が回復の期があることを信じておったのである。病中にも、もう一度好くなりたいということをしばしば言っておったが、これはその所期を遂げたいという熱望があったからであろうと推察する。

  ◎真に惜しむべき人
 予は多くの実業家を知っているが、あれほどの人物はあまり多く見ないのである。意志が強固で、勉強家で、発明の才があった。いくたび失敗してもこれに屈せずして再び崛起(くっき)するの気力は実に豪(えら)いものがあった。今一度回復したならば、ただに実業界のみならず、我が国の利益となったことが少なくないと思う。また報徳の教えからいっても実に惜しい人を失ったものであると追惜の情に堪えない次第である

💛「クロムウェルは多年奸雄とされていた。ところがカーライルが雄勁なる筆をふるってクロムウェルは大忠臣でその身の毀誉を顧みなかったと冤罪をそそいだ 君も毀誉褒貶を眼中に置くな」と留岡幸助は鈴木藤三郎を慰めた

私たち「二宮尊徳の会」がやっていることは、カーライルがクロムウェルの真の価値を世に示したように、鈴木藤三郎の真の偉大さを世に示すことにほかならない。

森町のMさんが「鈴木藤三郎顕彰シリーズ」第2集を作成したいという。
すでに第1集、第3集は出版済みである。
第2集は「鈴木藤三郎はいかにして遠州報徳の風土から出現したか」を扱う。
「素晴らしい、ぜひお願いします。
現在作成中の『現代語訳 安居院義道』など『報徳の師父』シリーズは
鈴木藤三郎顕彰第2集の資料集にあたるものです」





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最終更新日  2024.02.18 23:34:46



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