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2024.04.29
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カテゴリ:鈴木藤三郎
鈴木藤三郎報徳日めくり

29日

どの点に最も感心したかと、どの点もない、一の欠点もない。全身悉く敬服すべき人物であった。

君が発明の才に富んでいたことは勿論であるが、然しそれは君の人物に対しては一の余技に過ぎなかった。

江原素六
 


「斯民」第8編第7号(大正2年10月1日) 
 
 

最も尊敬したる人  貴族院議員 江原素六

  ◎毫も欠点なき人
 鈴木君が亡くなったそうだ。誠に惜しいことであった。自分は最も鈴木君を尊敬する者の一人であった。知っていたの何のでない。最も古くからの友人で、君も自分を信じてくれていたと思う。14日に遠州で本葬式があるそうだから、自分は是非会葬するつもり。行かなくっては心が済まぬ。森町へは浜松で下車するとよいかね。ナニ岡田君が行かれると、然らば電話で問い合わすとしよう。
 どの点に最も感心したかと、どの点もない、一の欠点もない。全身悉く敬服すべき人物であった。自分は徹頭徹尾賞賛していたので、君が衆議院に出るとき、自分は極力運動をしたが、このくらい心持のよいことはなかった。世には表向き褒めておいても、しかしこういう欠点があるというようなこともあるが、自分の同君に対する推奨は、決してそんな類ではなかった。君が発明の才に富んでいたことは勿論であるが、然しそれは君の人物に対しては一の余技に過ぎなかった。

  ◎醤油改良は最も必要
 君は醤油事業で失敗したが、これは国家の経済から言って、最も必要なる事業である。今日の醤油は、非常に不経済なことをして造っている。醤油は元禄頃より始まったものでそれまでは味噌だけであったが、味噌は窒素分がそのままに在るが、醤油ではこれが無くなる。醤油を造るに沸騰せしめる。窒素は百度以上の熱に逢えば凝結する。そこで醤油の滋養分は粕の方に残って、空しく豚の食物となるか、肥料とするのである。然るに君の発明は、百度以下で沸騰せしめる方法であったから、これが出来れば豆麦の滋養分がそのままソックリ醤油に残る。この事が欧米に知られたならば、その醤油はどんなに歓迎されたか知れぬ。必定日本の一大輸出品となったであろう。故に予は君の醤油改良に対して、満腔の敬意を表した一人であったが、このことはだれかが、是非とも君の志を継いで完成せねばならぬと思う。

  ◎器械仕事の注意点
人間の手でする仕事を器械にかけると、その出来方が違ってくる。それは人間の仕事には手心があってそれぞれ都合よく、適応せしめることができるが、器械ではそれができぬ。千編一律、きまりきってゆかねばならぬ。自分の縁故の者に、一人で5反付き3台の織機を操縦する器械を発明したものがあるが、一人で3台使うときは立派にできる。それを30台40台と造って、大仕掛けにやった者は失敗した。醤油の醸造にもこの注意を要する。特に鈴木君の方法は、鉄の器械で塩味(えんみ)を扱うものであるから、鉄が酸化して酸味を発する点に、相当の防禦法を施すの必要があった。次に麹の製造である。何十石でも、平等に一様の度に一斉に発酵するようにせねばならぬ。そうせねば、たとえ小規模では成功しても大規模では失敗するようなことになる。自分はこの2点について、詳細なる意見をしたため、それを鈴木君に送っておいたが、どう間違ったか本人の手に届かなかった。
君が失敗した醤油の改良は、最も必要の事柄であった。西洋にもソースはできる。ことに英国では好くできるが、皆滋養分が甚だ乏しい。故に鈴木君が企てた方法が完成されたならば、欧米人が大喜びでこれを賞用するに相違ない。

※井口丑二氏が「斯民」に寄稿した「古今東西報徳千話」にこの江原素六氏の文章に触れている。
「22 報徳と商工業
 昔は遠州辺にて報徳商人というものありき。然るに近来は報徳といえば農民の信条、衰村興復の題目とのみ思わるるに至りぬ。この間において遠州出身の鈴木藤三郎氏、独り商工業界の大報徳家として世に知られしが、氏が一たび蹉跌したる後は、商工業者中また報徳を言う者無し。
 この頃思いも寄らずも氏の逝去に逢いて、商工業と報徳との関係は、復いささか人の注意する所となりぬ。氏が失敗したるの言に曰く、『予は報徳にしたがいて成功し、報徳に背きて失敗したり』と、この語真なり。日本の商工実業者が、報徳の主義を守らざるために国家が損失しつつあること、いくばくなるやを知るべからざるなり。
 一概に成功を賞し、失敗を貶(へん)する世人は、鈴木氏の心事についても、あるいは疑いをはさむ者ありしというが、その蓋棺(がいかん)の後、輿情(よじょう)は、皆深厚なる同情をもって満たされたり。中にも現代の君子人たる江原素六氏の氏を讃する、その言語の限りを尽くせり。曰く、徹頭徹尾欠点なき人、発明のごときは寧ろ余技のみと。鈴木氏の霊地下に聞いて、いかに歓喜し感謝することならん。」

ああこの人を喪う 相田良雄
(略)
 最後の面会
明治44年の天長節に、吉田忠雄氏が精養軒で、栢山の二宮家の娘と結婚の式を挙げた。その媒介者は留岡幸助氏であった。花嫁は鈴木君が学資を出して高等女学校を卒業させた関係上、この式に君の列席を求めた。その時君はかかる席に出たのはあれ以来始めてである。世間に非常な迷惑をかけたから、今そのお詫びに地獄回りをしておるが、今日はやむをえず出てきた。しかし喜んでいただきたいことには、乾燥器の発明ができた。これが成功すれば多少お詫びをすることができると思う。今一つは完全燃焼法の発明である。東京市中は、今に煤煙に閉ざされる。これを防ぐために発明した。この仕掛けによればカスで発散を完全に燃焼するのであるから、石炭の消費高が減ずる非常な利益である。在来のかまに僅かな工夫を加えればよい。現に2,3の会社に試みて好成績を示していると言われた。今から思えばこれが最後の面会であった。

 精神まで挫折はしない
醤油醸造会社に失敗して以来、これまで紳士生活をして来た君は、鉄工場で職工服を着けて職工に伍して大いに研鑽を積んだ。この一事既に常人の難しとするところである。当時君は非常に憔悴しておるという噂があったので、金原明善翁は、わざわざ君を小名木川に訪問して慰謝した。その際君は翁の親切に感涙を浮かべ、そしてこう言った。「人様に迷惑をかけて実に相済まぬが、事業家が事業に失敗するのは已むを得ぬことである。しかし決して精神まで挫折はしない。これから20年も若くなって社会にお詫びをせねばならぬ。自分が20年前に製糖業を始むるために上京した時の家がこの8畳の家である。この8畳におった昔に返ってやる積りだ。妙なるもので、気持ちを若くすれば肉体までも若くなるものか、14年以来正月の餅はほんの儀式に少しばかり口にした。寧ろない方を喜んだのが、本年の正月には、雑煮を3椀も替えた又30年以来できなかったシモヤケが、若い時のようにできた」と言ったら、金原翁は大層喜んで帰られたとのことであった。
9月5日の朝、自分は新聞を見て大いに驚いた。早速小名木川の寓居に赴いて弔辞を述べた。石油船の待合所でも惜しいことをしたという人がある。又砂村の今日あるは鈴木君のお蔭である。砂村は恩人を失ったという人もある。なんと偉い人である。あの大名華族のような屋敷におった人が、我々の住むようなあばら屋に平気で住んでおられる。偉い人であったという人もあった。自分も4,5度君の屋敷を訪うたことがある。実に広壮な大名華族のごとき邸宅であった。それが今跡もなく草茫々としておるのを見て、真(しん)に感慨無量であった。君がこの光景を日夕目にしながら工場に通われた心事を思えば真に悲惨である。否これを見て心志を激励されたかと思えば、実に壮烈である。ああ今5年の寿命を君に捧げたかった。



世に知られていないことであるが、鈴木藤三郎氏は、二宮尊徳の子孫にひそかに学資等援助していたように推測される。
相田良雄氏の文に「花嫁は鈴木君が学士を出して高等女学校を卒業させた」とある。おそらく先師二宮尊徳の神徳にいささかでも報いたいと思ったゆえんであろうか。

「鈴木藤三郎伝」(鈴木五郎)では「家庭生活では・・・畏敬するという形になってあらわれた。・・・相当な年配の社員達が呼び付けられて、激しい口調で頭から叱責されているところなど、時々かいま見るものだから、・・・子ども達はみんな、父はこわいものだと思っていた。」(176ページ)とあり、家庭や会社では厳格で畏怖すべき存在であったようである。
 ただ、江原氏が「徹頭徹尾欠点なき人」と鈴木藤三郎逝去後捧げる言葉はまことにうるわしく思える。





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最終更新日  2024.04.29 00:00:24



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