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2024.07.03
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カテゴリ:報徳
報徳の伝道者たち 概要 柴田周ニ

はじめに

 明治以降の報徳社運動が、なぜ、主に二宮尊徳が仕法を行った関東地方ではなく、その周辺に位置する静岡県を中心に発展したかについては、原口清「報徳社の人々」や海野福寿「遠州報徳主義の成立」、足立洋一郎「近代日本社会形成期における報徳運動の研究」などのすぐれた論考がある。
そこでは、初期報徳社の設立に大きな役割を果たした、安居院義道、岡田佐平治、福住正兄、福山滝助らの活動を中心に、報徳主義と伊勢講との関係、常会を通じた農耕技術の伝播、報徳金融のあり方や権力に対する距離の取り方、報徳と道徳との関係など、報徳運動が民衆の現実的利益を関連させて述べられている。
 報徳仕法は一般に、幕府や藩の権力を背景に行われた「行政式仕法」と、民間の自立的な相互扶助組織としての報徳社が主体となって行われた「結社式仕法」の二つに分けられる。
前者は、尊徳や娘婿の富田高慶によって実践され、後者は、安居院義道、岡田佐平治、福住正兄、福山滝助たちによって、農村復興を目指す民間の自立的結社としての報徳社を中心に行われた。
行政式仕法は、藩政崩壊とともに終了し、幕末以降は結社式仕法としての報徳社の活動を核として報徳運動が展開された。報徳社の結社と普及がいかにして行われたかを明確にすることは、我が国における民間の自立的結社としてのコミュニティの形成がどのように行われたかを知る上で大きな意味を持っている。
 筆者(柴田周ニ)はこれまで、柳田国男や宮本常一の日本社会に関する民俗学的研究を我が国における自立と協同の人間関係の存在を問う「福祉民俗学」として位置付け、近代日本社会において民間の相互扶助素組織として大きな足跡を残した「報徳社」をめぐる、二宮尊徳、柳田国男、宮本常一、岡村重夫らのコミュニティ形成に関する議論を考察してきた。

本稿では、福祉社会を支える自立と協同の人間関係を維持するコミュニティ形成の観点から、初期報徳社の結成の経過を、先にあげた業績などによりながら整理してみる。

初期報徳社の人々ー安居院義道・岡田佐平治・福山滝助




安居院義道




岡田佐平治




福山滝助





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最終更新日  2024.07.03 16:22:11



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