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テーマ:テレサテン好きでした(9)
カテゴリ:野党
テレサ・テン 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 テレサ・テン(1953年1月29日 - 1995年5月8日、中華圏で使用された名前は鄧麗君〈デン・リージュン〉)は、台湾出身の歌手。1970年代から1990年代にかけて、中華文化圏全域ないし日本、タイ、マレーシアなども含めたアジアにおいて広く人気を博したその業績から、生前から没後も「アジアの歌姫」と呼ばれている。 父親は中国河北省邯鄲市、母親は中国山東省出身で共に外省人で、また父親は元国民党軍の職業軍人であり、彼女自身、軍隊への慰問活動を熱心に行っていたこともあり、「軍人の恋人」(中国語:軍中情人)というニックネームでも有名。 中国民主化支援と挫折 1986年、改革開放路線を進める中華人民共和国においてテレサの歌が事実上解禁されたことで人気が再燃。コンサートのオファーも届くようになり[1]、同時期に米タイム誌によって世界7大女性歌手の1人に選ばれた[6]。 1987年、住居を香港に移すのと同時に、日本以外での歌手活動をほとんど休止するようになった。 1989年5月27日には、かねてから中華人民共和国内で起きていた民主化要求デモを支援する目的で行われた、香港ハッピーヴァレー競馬場での中華人民共和国の民主化支援コンサートに参加。約30万人の前で、平和を願う「我的家在山的那一邊」(私の家は山の向こう)を歌い、亡命した民主化活動家とも交流を持った。しかし彼女の願いはかなわず、北京で天安門事件が起きてしまった。1990年に予定されていた、彼女の夢であった両親の生まれた中国本土での初のコンサートも中止になった[1]。当時、その心境を「夢は殺され 夢は見ることさえできなくなってしまった」と語っている[1]。 死去後 筠園 墓所は台北市の北東に位置する新北市金山区の金宝山にあり、小さな公園のように整備され、本名の一字を取って「筠園」と呼ばれている。墓前には銅像があり、彼女の歌声が絶えず流されている。没後10年目に当たる2005年5月8日には、日本をはじめとするアジア各国からファン300人ほどが墓所に詰めかけ、追悼集会を開いて生前のテレサ・テンを偲んだ。台湾での彼女はあまりにも偉大なので、遺体は火葬されず、エンバーミングなどを施されて土葬された。没後50年は生前の姿であり続ける。なお、台湾でこのような形で眠っているのは、蔣介石、蔣経国、テレサ・テンの3人である。 1995年の春にレコーディングする予定で作られた新曲「泣かないで」は、テレサが亡くなった翌年に新人歌手が歌い、彼女を追悼した。のちに「忘れないで - time to say good-bye -」として、彼女の七回忌に当たる2001年に、アグネス・チャンと北原ミレイによって同時にレコーディングされ、追悼の意が表された。 日本における発売元であるユニバーサルミュージックは、テレサの死後もCDやDVDを発表し、2008年5月時点で計200万枚を売り上げている[7]。 2009年8月、中華人民共和国政府系の総合インターネットサイト「中国網」が新中国建国60周年を前に行ったアンケート調査で、彼女は新中国で最も影響力のあった文化人に選出された[8]。 2013年5月、中国・北京でテレサ・テン生誕60周年記念コンサート「追夢」が行われ、中国や台湾から集まった人気歌手たちが彼女の歌を歌った[1]。 2015年5月23日「テレサ・テン(鄧麗君)メモリアルコンサート〜 没20年追悼チャリティ音楽会〜」が渋谷公会堂で行われた。3Dホログラム映像でテレサ・テンの中国語版「時の流れに身をまかせ」「月はわが心」の2曲が再現された。 同年9月15日に台湾の郵政当局が没20周年を記念とした切手冊子を発売[9]。 テレサ・テンと中華人民共和国 テレサ・テンの歌は、1974年頃から音楽テープによって、表現の自由だけでなく、諸外国の音楽の流入も制限されていた中華人民共和国に入り始めた。 彼女が歌う「何日君再来」は、1980年代初頭に日中戦争中の抗日歌として解釈され、中国大陸で爆発的にブームとなった。中華民国は、中国大陸に隣接する金門島から彼女の歌声を敵対関係にある中華人民共和国の統治区域に向けて大音量で大陸に向けて流したり、音楽テープを付けた風船を大陸に向けて飛ばしたりすることで、中華人民共和国における反中国共産党政府感情を駆り立てる宣伝の道具として彼女の歌を利用した。そのため中国共産党当局は、彼女の歌を不健全な「黄色歌曲」(ピンク歌曲)と位置づけて音楽テープの販売・所持等を禁止する措置を取り、これは1983年末まで続けられた。中華人民共和国で彼女の歌が禁止されていた時期でも実際には海賊版の音楽テープなどがかなり流布しており、それらを通して彼女の歌声を聞いていた人も多かった。1987年に両政府の関係改善がおこなわれ、台湾の商品を大陸で販売できるようになったことから、オリジナルの音楽テープが入るようになった。 1989年6月4日に発生した中国共産党政権による反政府活動弾圧・虐殺事件である天安門事件の際には、香港で行われた民主化デモ弾圧に対する抗議集会に参加、民衆の前で歌を披露し、自ら中華人民共和国の民主化実現を訴えた。中国共産党政府による一党独裁を否定したテレサは、イギリスから中華人民共和国に返還・譲渡されることが決まっていた香港を発ち、フランスのパリへ移住した。生前、彼女は中華人民共和国でのコンサートを熱望していたものの、天安門事件で中国共産党政府に失望し、実際にそれが実現することはなかった。 以上の行動から、テレサ・テンを「中華民国(台湾)の広告塔」ととらえる見方もあったが、中華人民共和国での彼女の人気の高さを物語るエピソードとして、当時、中華人民共和国の国民の間で「昼は老鄧(鄧小平)のいうことを聞き、夜は小鄧(鄧麗君:テレサ・テン)を聴く」、「中華人民共和国は二人の鄧(鄧小平と鄧麗君)に支配されている」といったようなジョークが流行っていたことなどを挙げることができる。 2009年中華人民共和国建国60周年を迎えるにあたり、中共国務院報道主催の「中国ネット」は7月24日から8月31日までの間、「新中国で最も影響力のある文化人物」のネット選出を行った。192人の候補者から、彼女が854万票の獲得で、第一位にランクインし、2400万人の投票者の35.7%を占めた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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テレサテンのお墓はユニークですね。台湾には何度か訪問して、いろいろな所へ行っていますが、テレサテンのお墓は、訪ねていません。一度訪問してみたいものです。
一昨年の代々木公園での中国祭の時、陳佳(ケイ)という歌手がテレサテンを歌っていました。一瞬、テレサテンが生き返ったかと思いました。 (2020.11.19 11:46:47)
GKenさんへ
こんにちは。 お世話になっております。 わたしは、2回ですかね。現地を訪問しています。 流れるテレサテンの曲が印相的でした。 また、観光客用に用意された?トイレも奇麗で、 料金箱を探してしまいましたが、ありませんでした。 そして、太平洋沿岸周りで、海辺の景色もおすすめです。 ロマンチック街道、九分も大好きな場所のひとつです。 日本統治の時代へもタイムスリップできますが、 今では、少しだけ、となってしまっていますね。 リニューアル、リフォームは、味を消失させてしまいます。 何枚か、九分の画像がありましたので、ブログしてみます。 また、検索まどに、九フン を入力してください。 懐かしい記事が出てくると思います。 いつも、ご覧いただきまして、 ありがとうございます。 (2020.11.19 13:02:35)
GKenさんへ
こんにちは。 お世話になっております。 わたしは、2回ですかね。現地を訪問しています。 流れるテレサテンの曲が印相的でした。 また、観光客用に用意された?トイレも奇麗で、 料金箱を探してしまいましたが、ありませんでした。 そして、太平洋沿岸周りで、海辺の景色もおすすめです。 ロマンチック街道、九分も大好きな場所のひとつです。 日本統治の時代へもタイムスリップできますが、 今では、少しだけ、となってしまっていますね。 リニューアル、リフォームは、味を消失させてしまいます。 何枚か、九分の画像がありましたので、ブログしてみます。 また、検索まどに、九フン を入力してください。 懐かしい記事が出てくると思います。 いつも、ご覧いただきまして、 ありがとうございます。 (2020.11.19 13:02:37) |
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