25.戦艦大和の沈没(5) 全世界の人々が、われわれの一挙一動に注目しているだろう
(カモメ)「戦艦大和の最期」(光人社)によると4月5日午後3時15分、大和で「総員集合、前甲板」の艦内放送が流れた。そこで有賀幸作艦長が最期の訓示を行った。その中で「全世界の人々が、われわれの一挙一動に注目しているだろう」と述べている。(ウツボ)「全世界の人々がわれわれ大和を注目している」そういう状況だったのだろう。世界が戦艦大和が、どのように戦うか、また作戦の勝敗に、大いに関心を持ったいた。(カモメ)他の国々の人は関心はあったはずだ。現代でも、イラク情勢のニュースは世界中に配信される。それで「連合艦隊」(勁文社)には、大和艦長・有賀幸作少将から総員上甲板に整列して「天一号作戦」の概略を聞いたとある。(ウツボ)そうだね。聞いたその夜ガンルーム(中・少尉の士官次室)ではこの作戦について「黙って祖国のために死ねばいいんだ」という兵学校出身の士官と「祖国のために死ぬ事を厭うのではないが、我々の死にそれ以上のどういう意味があるのだ」という学徒出身の士官の間で議論が紛糾した。(カモメ)ついにガンルームは鉄拳乱闘の修羅場と化した。(ウツボ)そう、さらに同様な議論がワードルーム(大尉以上の士官室)でも熱心に闘わされた。(カモメ)その時、「連合艦隊」(勁文社)の著者黒田吉郎は当時中佐で大和砲術長ですが、吉田中佐が大和のワードルームにいると、兵学校同期の通信長・山口博中佐が入ってきた。(ウツボ)同期生というのはいくら年をとっても、本音で話せるよね。戦の前には心を割って語りたい相手だよね。(カモメ)そうですね。それで、山口中佐が「貴様、今度の作戦をどう思う」と訊いてきた。そのとき黒田中佐は「ダメだろう」と答えているのですね。(ウツボ)今までの戦局から、作戦のなりゆきがおおよそ、分かってくるんだね。それは士官だけでなく乗組員、みんなそうだったろう。(カモメ)山口中佐と話した後、吉田は腹の底で「この作戦は中止すべきだ、と、のたうちまわりたいような気持ちだった」と正直に告白している。(ウツボ) その大和乗組員の意識について 同じタイトルだが,、「連合艦隊」(毎日新聞社)という、昭和27年に出版された本がある。(カモメ)著者は大和沈没時の連合艦隊参謀長・草鹿龍之介中将ですね。(ウツボ)そうそう。この本によると、草鹿参謀長は4月6日、大和が沈没する前日だが、瀬戸内海の徳山にいた大和の第二艦隊司令部を訪れた。(カモメ)草鹿参謀長は伊藤長官と海軍兵学校同期だ。草鹿参謀長は豊田連合艦隊司令長官の命令で、出撃する伊藤長官と第二艦隊司令部に「引導渡し」をする役目だった。(ウツボ)そういうことだ。海上特攻をする伊藤長官を初め第二艦隊司令部の幕僚に、万が一にも心に残るものがあってはならぬ。心置きなく最後の決意を促し喜んで行くよう話しをするように命令を受けていた。(カモメ)それは草鹿参謀長の回顧録,、「連合艦隊」(毎日新聞社)に記してある話ですね。(ウツボ)そう。それによると、草鹿参謀長の話を聞いた伊藤長官は「ありがとう、よく判った。安心してくれ、気もせいぜいした」と言った。そのあと艦長以上集まって、長官訓示の後、みんなを激励した。艦長以上だから心配はないと思ったが、興奮した人は1人もいない。私の前にいた大和の有賀艦長も、一点の憂色もなくニコニコ顔で私の話を聞いていた。草鹿参謀長は以上のように書き残している訳だ。(カモメ)ところがさきほどの「連合艦隊」(勁文社)の著者、元大和砲術長・黒田吉郎大佐はその時の事を、違った記述で書き残していますね。(ウツボ)そう。全く同じシーンで、伝え方がこれほど違うものはない。それは次回で話そう。