280.三式戦『飛燕』空戦記録(20)空戦とはいえ、瞬間に生命の勝負をするのか
(ウツボ)その瞬間、井上中尉の第一分隊は山手へ、松井曹長の第二分隊は海上の敵機を追尾した。小山伍長は松井曹長に必死についていった。(カモメ)こちらは高度差を利用して有利な追い込みでした。計器速度五五〇キロ、五八〇キロ、次第に二機のP-40がクローズアップされてきました。(ウツボ)敵機との距離六〇〇メートル。P-40はまっすぐ海面めがけて降下していった。高度一二〇〇メートル。海上をすれすれまで降下して遁走するつもりらしかった。(カモメ)『三式戦』は好調でした。ついに敵機との距離三〇〇メートル。こうなれば、赤子の手をねじるようなもので、松井曹長にかかってはかなわなかったのですね。(ウツボ)そうだね。その途端に、敵機は左に急旋回。すかさず、松井分隊も左小回りして、ますます距離を縮めた。距離二〇〇メートル。(カモメ)少し茶味がかったグリーンの機体が、はっきりと照準器の中に入ってきました。松井曹長はまだ撃たない。一五〇メートル、一〇〇メートル、八〇メートル。(ウツボ)ここで、敵機は右に旋回降下をした。敵も必死だ。だが、こうなれば、どう逃げても負けである。海面上まで逃げ、せめて後上方からの攻撃だけでも避ける覚悟だろう。(カモメ)だが、敵が左旋回した途端、松井曹長機から、白煙の尾を引いて海面向けて突っ込んでいく敵機に弾丸が撃ち込まれたのです。一連射、二連射。(ウツボ)二連射が終わるか終わらないかのうちに、後尾のP-40がパッ、パッと白煙を噴出したかと思うと、たちまちもうもうたる黒煙に変わり、ついには真っ赤な火のかたまりとなって、すぐ下の海に突っ込んで白波の波紋を残して消え去った。(カモメ)小山伍長はこれを見て、「空戦とはいえ、瞬間に生命の勝負をするのか」と思うと、なんともいえない、本当になんともいえない気持ちが胸中をかすめさったのです。(ウツボ)あわれさと、自分の身に置き換えたやるせない気持ちだったのだろうね。さて、あと一機残っている。こいつも必死に海面すれすれまで下がっている。もう立体戦はできない。水平面の戦いだけだ。まかりまちがえば、こちらも海へ突っ込む。(カモメ)小山伍長は上方、後方をさっと一瞥し、もう一度別の敵機が迫っていないかを確かめ、前進して松井曹長機に近づきました。(ウツボ)速度は六〇〇キロ。『三式戦』の機体はびくともしない。小山伍長はさきほどから撃ちたくて、撃ちたくてたまらなかった。だが、松井曹長との約束があるので、じっと我慢してついていった。(カモメ)松井曹長は、ほとんど五〇メートルくらいを、編隊飛行の気持ちで楽に追いかけていました。ついに敵機との距離が三〇メートルになりました。もう敵機は目の前いっぱいにおおいかぶさっている。(ウツボ)こうなれば、実にあわれなものである。ひとごとではない。小山伍長もよくよく肝に銘じてこのP-40の二の舞を踏まぬように注意すべきだと思った。(カモメ)そのとき、前方の松井曹長機が、急上昇をしました。小山伍長もつい、それについて行きかけたが、ああ、そうだと思いました。(ウツボ)出発のときの約束どおり、小山伍長に初陣の手柄を立てさせるべく、バトンを小山伍長に渡してくれたのだ。とたんに、小山伍長は、ぽっと上がってしまって、なにがなんだか分からなくなり、瞬間、前のP-40を見失った。(カモメ)あの目の前の大きなやつを見失うのだからどれだけ小山伍長が上がっていたか。だが、すぐに左前方に発見し、全速で追尾に移りました。(ウツボ)「飛燕」の速度では、すぐに追いつくことができた。その発見の時から、小山伍長は次第に冷静になりつつあった。そして、猛烈な闘志が湧いてきた。(カモメ)距離五〇メートル。ほとんど直接照準で、操縦桿のボタンもレバーのボタンも一緒に押しました。一三ミリと七・七ミリの機銃がダダダダ……、バリバリ……、なんともいえない衝撃でした。(ウツボ)もうボタンは押しっぱなしだった。P-40は左に急旋回する。小山伍長も追いかける。ボタンは押したままである。曳光弾は確かに当たっているらしいのに、なかなか反応がない。(カモメ)何百発撃っただろうか、急にP-40は真っ赤な火を噴き、大爆発を起こしました。小山伍長機は危うくその中に突っ込み、共倒れするところでした。右上昇旋回でそれを避けました。(ウツボ)上昇しながら海面を眺めた。ところどころに油が流れ、ゆらゆらと炎が見えた。これが小山伍長の生まれて初めての撃墜だった。すべて松井曹長のお膳立てのおかげだった。(カモメ)小山伍長はふと松井曹長の存在を忘れていたことに気づき、あわてて、旋回しながら探しました。だが、探すまでもなく、ちゃんと小山伍長の後方二〇メートルに編隊を組み、大きく口をあけて笑っていたのです。(ウツボ)そして松井曹長は前進してきて、「よくやった」と手まねで小山伍長をほめた。他の二機を追った井上中尉の分隊も一機撃墜していた。(カモメ)これが、小山進伍長の初撃墜の空戦記録です。小山進氏はその後も空戦を重ね、終戦時は陸軍軍曹でしたね。(ウツボ)そうだね。戦後は、瀬戸内航空パイロットとして粛々と勤務し、また素晴らしい名教官として民間パイロットの育成にあたり、航空界に大きく貢献した人だ。まさに「幸福の王子」のツバメのように献身的な人生を送った人だ。(今回で「三式戦『飛燕』空戦記録」は終わりです。次回からは「戦艦武蔵の最期」が始まります)