660.陸軍撃墜王列伝(80)輸送機に乗った第五九戦隊の優秀な操縦員五名を一気に失った
【緒方尚行(おがた・なおゆき)大尉5】(カモメ)緒方尚行は、大正五年生まれ。鹿児島県枕崎出身。昭和十五年六月、第八一期下士官操縦学生卒業。昭和十七年十二月陸軍航空士官学校(少尉候補第二三期)入校。昭和十八年八月陸軍航空士官学校卒業、少尉。(ウツボ)昭和十九年三月、緒方少尉は、飛行第五九戦隊(福岡県芦屋飛行場)第一中隊配属。四月二十四日から五月十日まで、明野陸軍飛行学校で、<川崎・三式戦「飛燕」液冷単座戦闘機>への伝習教育を受けた。(カモメ)その後、原隊復帰し、北九州の要地(小倉・八幡地区)の防空任務、錬成に従事しました。(ウツボ)六月十五日以降の、中国大陸からの<ボーイングB-29「スーパーフォートレス」(超空の要塞)四発大型爆撃機>による北九州来襲に対して、緒方中尉は、毎回の迎撃戦に出撃、直上攻撃法により、<ボーイングB-29「スーパーフォートレス」(超空の要塞)四発大型爆撃機>を三機撃墜した。(カモメ)十一月、緒方中尉は済州島派遣隊に参加しました。北九州爆撃後、帰路についた<ボーイングB-29「スーパーフォートレス」(超空の要塞)四発大型爆撃機>に対する迎撃戦に従事したのですね。(ウツボ)そうだね。昭和二十年三月、沖縄航空戦(天号作戦)の発動により、飛行第五九戦隊は第一次攻撃集団に編入された。四月一日鹿児島県の知覧飛行場に前進した。(カモメ)四月二日、緒方中尉は特攻機を援護して喜界島に進出、制空戦に参加しましたが、空襲で愛機を失いました。(ウツボ)四月二十七日、喜界島制空戦に参加した飛行第五九戦隊の操縦員、井上早志大尉(第三中隊長)、浅野彌宣壽彦少尉、沖中健一少尉、生田憲政曹長、今政浩軍曹は、輸送機で知覧に帰還する途中撃墜され、全員戦死した。(カモメ)輸送機に乗った第五九戦隊の優秀な操縦員五名を一気に失ったのですね。四月二十九日緒方中尉も輸送部隊の重爆に便乗しましたが、無事芦屋飛行場に帰還しました。(ウツボ)芦屋で緒方中尉は、戦死した井上早志大尉の後任として、第三中隊長に任命され、引き続き、防空任務に従事した。(カモメ)五月十四日の南九州迎撃戦では、緒方中尉は編隊を率いて知覧飛行場を発進、桜島上空で、<グラマンF6F「ヘルキャット」艦上戦闘機>と<ヴォ―トF4U「コルセア」艦上戦闘機>の編隊約三〇機と空戦に入りました。(ウツボ)この空戦で緒方編隊は三機を撃墜した。そのうち一機は緒方中尉が撃墜。これにより、鹿屋空襲を未然に防いだ。(カモメ)緒方中尉は、陸軍武功章(乙)を授与され、六月大尉に進級しました。(ウツボ)その後、飛行第五九戦隊は芦屋飛行場に後退、<川崎「五式戦」単座戦闘機>への機種改編、伝習教育を受けた。(カモメ)その後、北九州要地防空、阪神地区防空任務に従事したが、本土決戦に備え兵力温存につとめたため、空戦の機会は少なく、七月には蓆田飛行場に移動しました。(ウツボ)昭和二十年八月十四日、緒方大尉は、<川崎「五式戦」単座戦闘機一型>で出撃、芦屋上空の空戦で<ノースアメリカンP51「マスタング」単座戦闘機>一機を撃墜した。(カモメ)緒方大尉は、自身の撃墜数を五機とし、翌日終戦を迎えました。(ウツボ)緒方大尉は、大戦末期の、飛行第五九戦隊を代表する、撃墜王だった。(カモメ)以上で、日本帝国陸軍を代表する撃墜王たちの空戦記録は終わりですね。(ウツボ)そうだね。次回からは、「海軍撃墜王列伝」で、日本帝国海軍を代表する撃墜王を紹介していく。