カテゴリ:ひとり言
今日は地元の新聞記事より。
皆さん新聞はご購読のことだと思いますが、どんなところを欠かさずお読みでしょうか? 社説とか、コラムだとか、連載小説、スポーツ欄、TV番組欄・・・。変わったところでは、死亡欄は必ず目を通すという方いらっしゃるでしょう。礼儀を欠いてはいけないと言うことですね。 私が読んでおります地元紙は、この死亡欄の横に『野辺の送り』という差込み欄があり、地元の寺院のご住職のお言葉が、日替わりで掲載されます。 私はこれをよく読むのです。(変わっているかなぁ~??) いつぞやお通夜のお話をしたことがありましたね。 当地ではお寺さんといえば、浄土真宗のお寺を指すといっても過言ではありません。 ですから、この欄に出筆なさるご住職もほとんどが、真宗のお寺となります。 そこで、今日の『野辺の送り』お名前は伏せますが、地元高岡のお西(真宗本願寺派)のご住職がポックリ寺参りについて書いておられました。 「ポックリ寺ツアーが盛んだったころ、その寺の住職が寝たきりになったと言う話や、ツアーに参加した人が帰りのバスの中で亡くなり、あらたかな霊験が証明されたのに、その寺への参拝がバッタリ途絶えたという話をよく聞いた・・・・云々」 たいがいこの欄は、御仏の本願について分かりやすく書かれていたり、日々無常なる定めを忘れがちな我々の日常を戒めたものが多いのですが、今日は思わず笑ってしまいました。 そして思ったのです。 あぁ~、なんて人間は自己中心で身勝手なんだろうと。 さらにご住職はこう続けられます。 「人は皆、幸ある生を聞きたいと思いますが、神仏の力で思うようになるのが人生でなく、思うようにならないのが人生だと知らされ、うなずくことが仏の教えなのです。」 う~ん、う~ん!!・・・・さすれば、私の人生もまさしくうなずくより仕方がないと知るべきなのでしょうか? (悶絶!! さ・ら・に! 【送料無料お試しセール】好評開催中です!! モバイルはこちらから! 携帯電話からもご購入いただけます!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年07月18日 12時11分27秒
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