カテゴリ:ひとり言
私は趣味で少々囲碁を打ちます。
・・・そば屋だけにその実体は"ザル"でして、せめて"もり"くらいにはなりたいものだと思っているのですが。。。(苦笑! 囲碁をおやりの方は良くご存知でしょうが、囲碁の本などを読みますと、「厚み」ということを盛んに言います。地の多少を争うゲームでありながら、目先の地にとらわれることなく、後々に効いてくる連携した石の壁の働きのことを言うようなのですが、ザルの目が粗いので、よく意味が分かりません。 自分では気持ちよく厚みを作っているつもりなのですが、最後は実利を取った敵の石にすっかりとり囲まれて、厚みまるごと召し上げられて、あっということになるのが、ザルのザルたる所以なのであります。(涙! 今日は、この「厚み」についてお話してみようと思います。 こんなウェブトピックスが目に入りました。 ・・・どうも胡散臭くありませんか!?!? 囲碁同様に人間にも「厚み」というものがあるはずでしょう。 15や17歳の少年に仏陀の化身と言われるほどの厚みが出るものでしょうか!? 瞑想にふけっていると言われるその姿をしみじみ見まするに、私の信心の貧しさを差引いたとしても、心の奥底から発する「ありがたい!」という感情は湧いてきません。 見物料を取っていたというに及んでは、何をかいわんや。 この少年、飲まず食わずで長期間瞑想にふけるということだそうですが、成長期のこの時期、滋養のあるものをよく食べ、十分に睡眠を取り、長時間じっと座るようなことは避け、体を動かし体を鍛え、さらに精神を鍛え、人をだまして金を取ろうなどとよこしまな了見の入る込む隙間のない性根を養うべきです。 まさに「厚み」を作る時期を失してはならぬと思うのですが、如何に。 さ・ら・に! 【送料無料お試しセール】好評開催中です!! モバイルはこちらから! 携帯電話からもご購入いただけます!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年03月11日 18時02分32秒
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