カテゴリ:ひとり言
平等ということについて 平等、なるほどきれいな言葉ですよね。 「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずと言えり」 福沢諭吉のこの言葉、けだし名言に間違いありません。 しかし、最近この意味が少々違った解釈をされていると、ジャーナリストが警告を発しているのを見聞きしますね。 作家の曽野綾子さんもそうですし、大宅映子さんも同様の主旨の発言をなさっておられるのをテレビで拝見しました。 教育の現場で、運動会などの駆けっこで1等、2等、3等という順位をつけず、みんな良く頑張りましたね、みんな1等賞ですっていうことをやっている小学校が増えてきた。負けた子供がかわいそうだから、足の遅い運動能力の劣る子供を差別することになるし、平等でないからいけないと。 思いやりのある温かい心を持った子になってもらいたいと。 大宅さんは、この考え方を平等の本質をわきまえぬバカ気た考え方だと、一刀両断しておられました。 すなわち、負けた子がかわいそうという発想自体がかわいそう過ぎる。 負けて悔しいと思ったら努力しなさい、勝ってもけっして驕ってはいけません、敗者へのいたわりの心を養いなさいというのが教育だろうと。 何事につけそういう結果を平等にするという発想が、昨今の日本をダメにしてきた。入り口の権利だとかチャンスは万人に対して平等であるべきだが、そこで競争した結果に差が出るのは当たり前のことではないかと。 この努力した結果の差を差別だ、平等でないというのは、良識人には考えられないことだと。 う~む、なるほど! さすがは大宅壮一の娘さんだけのことはある。 父親譲りのジャーナリストの中のジャーナリストだ。 敬服した次第です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年03月25日 11時51分55秒
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